ツイッターのほうで書くと怒られそうだから、こっちでなんだが、「科学」という言葉が一人歩きしていて、単にマウントをとるための言葉になっている感がある。「科学的には」と言いながら、それ自体で非科学的な「真理」を語る人をよくみる。
「理系」もそんな感じ。自分にとって都合の悪い自然科学系の人の主張は見なかったことにして、とにかく自分は「理系」の側にいると言いたい願望が透けてみえる。
こういう状況になるのは、やはりある種の絶対真理に対する願望があるんではなかろうか。科学が宗教の代替物になっている。不確実性の高いリスク社会的状況において、なおかつ世俗化が進んで宗教的真理が説得力を失うなか、自分を正しい側に置き、意見の異なる他者を糾弾するための概念として「科学」や「理系」が用いられる。
もう一つ思うのは、科学を下賎な(政治や社会といった)世俗の論理から切り離したいという強い願望の存在。実際の政策形成が純粋に科学的知見に基づくことはありえないし(コロナ対策をみても明らか)、実際に主張の端々に世俗的価値の混入がみてとれるのに、絶対にそれを認めたくないという態度が一部の層にみられる。
@brighthelmer
新興宗教に「幸福の科学」というのがあるのをふと思い出してしまいますね。
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@otkt 我が家にも実験を仕事にしている人がいますし、科学の重要性を否定するつもりは全くないんですが、「科学」「理系」というフレーズが一人歩きしているような感覚がどうにも拭えないというか…