『大雷雨』(1941、ラオール・ウォルシュ)
電力線の保守作業員達の話。大雷雨でもなんでも停電が起きればすぐに復旧のために出動するボーイズたち、豪雨の中でも電柱とか高圧鉄塔にするすると登っていくのが面白い。
でもお話は、EGロビンソン(ベテラン作業員だけど事故って登れなくなり現場監督に昇進)、マレーネ・ディートリッヒ(年長作業員の娘だが父親とは確執があって断絶しナイトクラブのホステス(キャバ嬢的な)をやっていてロビンソンに求婚される)、ジョージ・ラフト(ロビンソンの同僚で親友)の三人の間で展開されるメロドラマが中心ですね。名優の共演で、出てくるだけで纏ってる空気感がすごくてそれを見てるだけで楽しい。ディートリッヒってなぜあんなに立ってるだけ、座ってるだけですごいのか。
一つ気になったのが、ジョージ・ラフトのキャラはゲイ設定ではないのかなということ(そう解釈すると話の流れが理解しやすいという意味で)で、気のせいかと思って最初の方を見直したらそれを示唆する符牒みたいな場面があった。’41年だからヘイズコード下で同性愛表現禁止の時代で、明示的ではないけど。
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『大雷雨』のスーツケースの話 続き
同じスーツケースがラストシーンに再び登場する。ハンクが高圧鉄塔から転落死しそのことに責任を感じたフェイは一人シカゴへと旅立とうと、夜のバス停に一人立っている(離れた距離からフェイを小さく捉えたとても美しいショット)。そこにジョニーが現れ近づいたことこで、手前からバスがやってきて、二人の姿をその後ろに隠すがまもなくバスは発車し去っていく。バス停には二人がそのまま立っていて、フェイが立ち去るのをやめたことがわかる。その時最初はフェイの手にあったスーツケースがジョニーの手に握られているのが見える。父親と娘の断絶を表現したのと同じスーツケースがここでは確執のあった二人の和解を表現していると言うことなんだろう。
と、言うようなことを2回目見て初めて気がついたけど、ウォルシュってそういう仔細な演出をする人だったんだなぁと言うことを知った。