西村賢太の「苦役列車」については、サイゾーの時評で書評を書いたなあ。

西村賢太の時代であれば、「ニューアカ」「コアサダ」と呼ばれていそうな人物が「サブカル」と語り手の呼ばれているのが、実に上手だった(小説をそれまで読んだことがない層を、巧みに惹きつけた)。

って、まず「コアサダ」という言葉を、私の世代でもほとんどのひとが知らないので、かなり意識的に構築された、この私小説の妙というのを説明した気がする。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。