西村賢太の「苦役列車」については、サイゾーの時評で書評を書いたなあ。

西村賢太の時代であれば、「ニューアカ」「コアサダ」と呼ばれていそうな人物が「サブカル」と語り手の呼ばれているのが、実に上手だった(小説をそれまで読んだことがない層を、巧みに惹きつけた)。

って、まず「コアサダ」という言葉を、私の世代でもほとんどのひとが知らないので、かなり意識的に構築された、この私小説の妙というのを説明した気がする。

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1980年代、『構造と力』は大学生を中心にとんでもないベストセラーとなり、「AA現象」(浅田彰現象)と呼ばれた。

このとき、現代思想に半可通みたいな若者が増えて、小さい浅田彰という意味で「コアサダ」という蔑称が使われていたのだ。「コアサダ」的な青春を送って、そのままの文体と生き方をしてしまったのは、ミュージシャンの菊地成孔だろう(彼は広告研究会に入って、たしかマスコミ志望だったはずで、そういうひとほど「記号論」と「資本主義」を知ろうと、『構造と力』を手に取ったはずだ)。

当時、中上健次は浅田彰について「スゴイデスネーッ」と所ジョージのフレーズを用いて褒め殺しした。つまり、西村賢太っぽい風体の人物が毛嫌いする傾向があったというわけなのだけれども、懐かしい話である。
QT: fedibird.com/@ohmitakaharu/112
[参照]

大見崇晴  
西村賢太の「苦役列車」については、サイゾーの時評で書評を書いたなあ。 西村賢太の時代であれば、「ニューアカ」「コアサダ」と呼ばれていそうな人物が「サブカル」と語り手の呼ばれているのが、実に上手だった(小説をそれまで読んだことがない層を、巧みに惹きつけた)。 って、まず「コアサダ」という言葉を...
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