Blueskyで「(台湾と日本の避難所の違いについて)たぶん避難所がどうこうじゃなく、日本という国が一律で『困ってるひとに対して冷たい』ということなのでは」というようなことを書かれていた方がいたけど、私も似たようなことを考えている。
日本は、というか日本の自公政権は、根本的に、「ひとの命や生活や尊厳を尊重し守る」ということをする気がないんだと思う。そしてそのことを、いろんな分野でいろんなやり方で毎日突きつけられている。
例えば災害対策ひとつとっても、「お金がない」「技術がない」から「対策が行き届かない」のではなく、そもそも「対策を万全にする(万全に近づける努力をする)気がない」のであって、お金があるかどうか人手不足とかは本質的な問題ではないのではないか。
もし仮に、日本の実体経済が上り調子で社会にお金があふれまくっていたとして、国に入る金も潤っていたとしても、自公政権ではどうせしょうもないことに使って終わりだろう。
だから、「スフィア基準というのがあって〜」とか「ボランティアの仕組みが〜」といった各論を意見したところで、自公政権であり続ける限りは本質的な解決・改善は難しいのだろうと考えている。
イオンシネマの件、記事を読んでから当人の投稿をペケに見に行ったのだけど、ぶら下がってるコメントや引用投稿の殆どが、車椅子なんだから車椅子席を使え・自分で介助を連れてこいというもので衝撃だった。
どうやったら車椅子ユーザーの人達もリクライニングの座席を利用できるかという方向の話は無い。
なんでも既存のルールに一切疑問点や不備を感じることなくただ従うのが当たり前で、いかにルールを暮らしやすい社会のために変えていくかと考えることを拒否している。
ただただ思考停止が蔓延する世界。
"こうした「妬み」の感情は、障碍者だけではなく、日々、多くの社会的弱者に向けられている。自分たちは毎日汗水流して働いているのに、遊んで生活している(ようにみえる)生活保護受給者、公共の場を我が物顔で占有し、自由気ままに生活している(ようにみえる)「野宿者」などが、攻撃対象となる。
そもそも自分たちの労働に対して支払われるべき報酬が低すぎるのではという疑問は、ここでは生じない。欲望を抑圧しながら慎ましく生きることを強いられている現代日本の市民は、常に自分たちの正当性を証明しようとしている。そこで、既存の社会システムのルールを前提にしたうえで、自分たちに支払われるべきリソースを「不当にも」奪っていると想定される、社会の(奴隷)道徳に対して従順ならざる他者が必要とされるのだ。"
「わきまえない障がい者」を叩く人たちが抱く「自由への恐怖」 « ハーバー・ビジネス・オンライン
https://hbol.jp/242521/
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