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Blueskyで「(台湾と日本の避難所の違いについて)たぶん避難所がどうこうじゃなく、日本という国が一律で『困ってるひとに対して冷たい』ということなのでは」というようなことを書かれていた方がいたけど、私も似たようなことを考えている。

日本は、というか日本の自公政権は、根本的に、「ひとの命や生活や尊厳を尊重し守る」ということをする気がないんだと思う。そしてそのことを、いろんな分野でいろんなやり方で毎日突きつけられている。

例えば災害対策ひとつとっても、「お金がない」「技術がない」から「対策が行き届かない」のではなく、そもそも「対策を万全にする(万全に近づける努力をする)気がない」のであって、お金があるかどうか人手不足とかは本質的な問題ではないのではないか。

もし仮に、日本の実体経済が上り調子で社会にお金があふれまくっていたとして、国に入る金も潤っていたとしても、自公政権ではどうせしょうもないことに使って終わりだろう。

だから、「スフィア基準というのがあって〜」とか「ボランティアの仕組みが〜」といった各論を意見したところで、自公政権であり続ける限りは本質的な解決・改善は難しいのだろうと考えている。

ただそれは、意見をしているひとの行動がむだだという話では全然ない。言わなければ、今度こそ本当に何もしないだろうから。

漏れ続ける水をそれでもすくい続けなければならないように、言うべきことを言い続けなければならない。そしてそれを実行している方々にはひたすら敬意を表したいし、敬意を表するだけでなく自分もできることをしなければと思う。

震災に遭ったばかりの台湾の避難所のことを「日本にないもの」を明確にするために比較対象とし、うらやましいと思って見てしまうことには逡巡がある、もちろん。

それでも、私が台湾の避難所を「日本にはないものがある」という思いで見てしまうのは、政治に「ひとの命や生活や尊厳を尊重し守る」という姿勢があるのではないか(少なくとも、建て前を維持しようとするモチベーションがあるのではないか)と思えるところが、日本とは根本的に違うだろうと思うからだ(花蓮の首長もよくない話があるようだし、全部が全部いいとはもちろん言わないが)。

そういう土壌がある社会であれば、ボランティアだって活動しやすいのじゃないのかな。

でも、台湾がそういう社会を形成しているのだとしたら、それは主権者たる一人ひとりの行動によるものだよね……翻って日本はね……といういつものところに行き着いてしまうのだった

能登の復旧・復興「コスト念頭」 財務省、被災地は人口減(共同通信、2024/4/9)
47news.jp/10766174.html

〈財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した〉

これも、「ひとの命や生活や尊厳を尊重し守る」という姿勢が日本の政治にはないことを如実に示すものの一つだよね。

「これが言ってること、つまりこういうことでしょ」っていうのを書き出してみたけどやめてしまったよ……

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