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そして今日は夜は下北沢なんだけど下北沢を歩くのもさびしい、あっちに行けばイベントやるときはいつもそこだったライブハウス

渋谷を歩くのもさびしい、あっち側にいけばホームのライブハウス

私がデカ穴あいてるツイートしても流れるだけだけど、ふだんから注目浴びてて敵も多い人がそれをやるとここぞとばかりに責められるから、それが起きるのがやるせない

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性根としては正しくて見聞も広い人でも、肌感覚でツイートしてると信じられないでかい穴のあるツイートするよな…というのを見てしまい

その人を好きなあいだちゃんと「好き」をやってたなわたし。あの人がそれをやらせてくれてた。満たされてた。かみあってた。

私がそれなりにやってるって知ったらきっと喜んでくれただろうな、きっと笑ってくれた。でもそういうのの必要もない。関係は満たされてた。

あんなにライブ通ってたのにMCでフラッシュバック起きちゃって解離も重くて、それでぜんぜん行けなくなった。あんなに好きで楽しかった場所もすぐに戦場になる。自分だけの戦場、自分だけの地雷。どんどん行ける場所が減ってく。ずっとそうやって生きてた。それでいまこれになった。

びっくりするのも変だけど、ひとり死んだらあとのひとはひとり残らず置いてかれた人、見送る人になるな。あちこちのライブハウスで、正直ファンより関係者の知り合いのほうが多かったような、でもその人たちもただの仕事上の付き合いじゃなくて友人で音楽を聞きにきてた、あのみんな、残らず。

でも、あのとき知り合いだった誰かと話したわけじゃないけど、みんなどこかで「あれは長生きする生き方じゃなかったよ」って思ってそう。みんなちょっと呆れてた、ふつうできる生き方じゃないから。そしてだからみんなあの人を好きだった。そしてみんなで見送る。

自由でのびやかで、そういう生き方をして、そういう生き方の人みたいに60代の手前で死んでしまった

路上でもライブハウスでも、自分たちのワンマンでも対バンでも、メインでもゲストでも、自分がそこにいることになんにも気負いも言い訳もなくて、どうしたらあんな自由でいられるんだろうって思ってた

ものすごく好きな写真があって、旅先でただ立ってるだけの写真だけどまるでどこにいてもそこが自分の居場所みたいになんにも気負ってなくて自然体で心を開いてて、自分はその対極だから憧れてた

こんなに無敵で、ライブでギター弾いたら自分は無敵だって知ってる人生ってどんなだったんだろ

曲がお披露目されてライブの中でアレンジがかたまってくのも見てた

動画ほんと行ったライブばっかりで参る

握手してもらうたびに照れてた

あんなスタートなのに予定通りはたらいちゃってえらいな

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