新しいものを表示

激推ししたい作品がTLで黙殺されて、感心しなかった作品が世で絶賛される、くらいはよくあることと受容するしかないですが、まあ癪に障りますね。

特に何をするでもなく大阪に戻ってきました。

何も周辺を調べてないのでこのあとどうするか一切決まっていないのですが。

佐川美術館、ほどよく景色が良くて居心地いいのもいいですね。

あとエッシャーの絵って(「滝」みたいないかにもな無限ループの絵に限らず平面充填の作品でも)ある種のアニメーション的な動きを感じることがあるんですが、明らかに不条理なのに鑑賞者の意識の中でだけ動きが錯覚されるのもものすごい体験でした。

自然はあらゆる合理化された形状の宝庫で、それを的確に写し取るからこそエッシャーの作品はひとつのリアルな世界として成立して、しかしながら幾何学的なトリックによって非実在の世界へと昇華しているのだと思いました。平面的な絵のひとつひとつにあり得たかもしれない世界が閉じ込められていて、それがエッシャーの芸術なのだという実感が押し寄せてきて、その儚さと永遠性の相克に本当に涙が出そうになってしまったんです。

エッシャーの作品ってどうしても構造や錯視のほうに目が行くんですが、それをひとつの絵画として昇華させているのはあらゆるオブジェクトの形態に対する正確な理解と、それを表現しうる超絶的な技巧なんですよね。立体物を平面に落とし込むためにはどのように表現すればよいのか、その形状の理解と細部の取捨選択が卓越しているからこそ、なにかが別のものにメタモルフォーゼする瞬間を写し取ることができるんですよね。

エッシャー展、途中から泣きそうになりながら観ました。圧倒的です。

全然ねむれんうちに朝になっていました。

明日はエッシャー展を見に行く予定です。

SNSでの言葉遣いを慎重にしなくてはいけないの大変だとは思うんですが、言葉に対する認識の精度がたかまるのはいいことだと思うんですよね。仕事の文章を書くにあたっても注意深く適切な言葉選びができるようになってきた自覚があります。

日本語が読めない瞬間が生じてやばみを感じました。

人気のアニメの原作を読みたいと思っても「これは単に今の事象に流されすぎているだけなのでは?」と自問してしまって手が出にくい気持ちになっています。攻殻をまとめて読もうと思っているのですが(1巻は昔読んだ)

現代アートはうざがられるのに藝大の卒展はわりと持て囃されてるの何なんですかね。キャプションがあればいいのかなあ、結局わかりやすさなんですかね?

作中の描写を「作者の趣味」「癖」としか捉えない認識の行き着く先が「作品を守るための作者の主張を『わがまま』だと貶す」なのではないかと思ってしまって勝手に辛くなっています。

物語を楽しむこと自体ほんとはどこか歪な性向だと思っているんですよね。人間はだいたいそうですが。

また宅配ボックスがトラブっておりげんなりしています。(番号があっているのに開かない)

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。