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扇智史 さんがブースト

「AI生成動画を実写と言い張る」フェイク動画の前に、「実写をAI生成と言い張る」フェイク動画が多数出てきているようだ。

扇智史 さんがブースト

「少女歌劇レヴュースタァライト」のワイドスクリーンバロック、「崩壊:スターレイル」のシルクパンク、Vシンガーグループの「VALIS」と「Albemuth」、Y3Kファッションなど意外とコアなSF小説と最新カルチャーの結びつきはあるが、書籍の売上には直結できていない。

掌編のための種をメモしていました。昔ならこのスケールはそのまま書いていたであろうので、随分と慎重になりました。

扇智史 さんがブースト

やはりとてつもなく速やかに歴史と事実が破壊しつくされるのではないかという気がしてきた…

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固定電話、めったに使わないしどうでもいい電話ばかりきて益が薄いのですがなぜか実家からは家電にかけてくるので維持せざるを得ないという状況なわけですが、いい加減古いのでシンプルな新しい電話にしてしまいたさがあります。

激推ししたい作品がTLで黙殺されて、感心しなかった作品が世で絶賛される、くらいはよくあることと受容するしかないですが、まあ癪に障りますね。

特に何をするでもなく大阪に戻ってきました。

何も周辺を調べてないのでこのあとどうするか一切決まっていないのですが。

佐川美術館、ほどよく景色が良くて居心地いいのもいいですね。

あとエッシャーの絵って(「滝」みたいないかにもな無限ループの絵に限らず平面充填の作品でも)ある種のアニメーション的な動きを感じることがあるんですが、明らかに不条理なのに鑑賞者の意識の中でだけ動きが錯覚されるのもものすごい体験でした。

自然はあらゆる合理化された形状の宝庫で、それを的確に写し取るからこそエッシャーの作品はひとつのリアルな世界として成立して、しかしながら幾何学的なトリックによって非実在の世界へと昇華しているのだと思いました。平面的な絵のひとつひとつにあり得たかもしれない世界が閉じ込められていて、それがエッシャーの芸術なのだという実感が押し寄せてきて、その儚さと永遠性の相克に本当に涙が出そうになってしまったんです。

エッシャーの作品ってどうしても構造や錯視のほうに目が行くんですが、それをひとつの絵画として昇華させているのはあらゆるオブジェクトの形態に対する正確な理解と、それを表現しうる超絶的な技巧なんですよね。立体物を平面に落とし込むためにはどのように表現すればよいのか、その形状の理解と細部の取捨選択が卓越しているからこそ、なにかが別のものにメタモルフォーゼする瞬間を写し取ることができるんですよね。

エッシャー展、途中から泣きそうになりながら観ました。圧倒的です。

全然ねむれんうちに朝になっていました。

明日はエッシャー展を見に行く予定です。

SNSでの言葉遣いを慎重にしなくてはいけないの大変だとは思うんですが、言葉に対する認識の精度がたかまるのはいいことだと思うんですよね。仕事の文章を書くにあたっても注意深く適切な言葉選びができるようになってきた自覚があります。

日本語が読めない瞬間が生じてやばみを感じました。

人気のアニメの原作を読みたいと思っても「これは単に今の事象に流されすぎているだけなのでは?」と自問してしまって手が出にくい気持ちになっています。攻殻をまとめて読もうと思っているのですが(1巻は昔読んだ)

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