タトゥーがあるからか知らんが、タトゥーに視線を向けた後に「何かバンドやってるんですか?」と質問されることがある。なぜ…?
レポート:新潟プライドパレード | ゲイのための総合情報サイト g-lad xx (グラァド)
https://gladxx.jp/features/2023/scene/9000.html
新潟プライドパレードのレポートでてるよ。
BT あ、これGENDERED FORTUNESの後書きと通じると思う。
『恐怖の対象であったものを受け入れる過程でもあります。自らの恐怖を認めて、そのうえで受け入れる過程だということです。おそらくその意味では自らの脆さを認めることでもあります』
ての特に。
GENDERED FORTUNESの後書きで著者は『占いを実践している者たちの舌鋒鋭い信念、つまり疑いを排除するのではなく疑いへの積極的な関与を通じて抱く信念を受け入れることで、占いに関する古くからの格言を再構築した「フェミニズムを信じるな。しかしフェミニズム無しでもやってはいけない」というフェミニスト占いの実践を通しフェミニストのフィーリングを集団的に呼び起こす可能性に、(再び)掛けている』(※私による雑翻訳なのでこの本まじで翻訳出版されてほしい)
と言ってる。
未知(いや本当は未知でもなんでもなくずっとずっと昔から一緒に生きていた)なる存在やあり方に対して抱く不安・恐怖という感情を排除・差別へと変容させないために、占いの場で行われるように不安・恐怖を消去させるのではなくむしろそれらに向き合い受け入れていくことがフェミニズムに必要なのでは、と。
クィアの生存可能性を回復するべく諸制度が見直されてゆく過程で想定されるバックラッシュになにか言うことがあるとするのであれば、それが何であれ排除されてきた人々(これはバックラッシュにおいてしばしば掲げられる〈女性〉も当然含むものとして)の権利を回復する、ということはそもそも、必ずしも肯定的な感情のみをもたらすものではない、ということです。
たとえばバトラーは諸制度から排除され、生存可能性を剥奪されることを理解可能性の領域(制度によって認可される者たちの領域と呼ぶのがわかりよいでしょうか)から排除されていることだと説明しています。そして、理解可能性から排除されたものはアブジェクション(=おぞましいもの)と結びつけられているのだとも論じています。
その説明では、クィアは現行の諸制度にとっての恐怖の対象ということになります。したがって、諸制度から排除された人たちの生存可能性を回復する過程は、恐怖の対象であったものを受け入れる過程でもあります。自らの恐怖を認めて、そのうえで受け入れる過程だということです。おそらくその意味では自らの脆さを認めることでもあります。
「誕生日が近いからいいか!!!」てことでこのタロットデッキを注文しました。
QT: https://fedibird.com/@non2moon/111227544492324449 [参照]
描き作り時々趣味で占いをやってるお化けで怪獣。
non-binary, ADHD, Queer, Lenormand,Tarot,Hand poke tatoo
ツイッターではあずさ(@fragment_draw)と名乗ってる
あずさ、柊、柊樹、ひいらぎ…馴染む名前で呼んでくれればどれでもいいよ。
ちゃん・さん・くん付けも呼びやすいのであればどれでも良いよ。