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ルスハン 1.奇蹟 

「奇蹟って言うのは、そう何度も起こるものじゃない。だから奇蹟って言うんだろ」
通りすがりに聞こえてきたのは、救世主の声だった。奇蹟の余韻に沸く船内で、けれどもそれはアイツらしくない静かな声だった。いつもの煽り声じゃなく、そんな声も出すんだなと思っていたら、案の定相手はコヨーテで。「お前がそう言うなら、いいけどな」 そう言って溜息を吐く。
そんな声も出すと言えば、甲板で手を握り合った時のハングは見たことのない顔をしていた。
盗み聞きは趣味じゃない。かと言って、シャワーを浴びたいと言う目的も遂げずに回れ右で帰るのも変だ。ちょっと迷ってから、 「あー、込み入った話か?俺もシャワー浴びたいんだが」 と声を掛けて中に入った。脱衣所で中途半端にタオルを被ったまま、二人は話し込んでいたようで。同時に気まずそうな顔を向ける。 その顔で何となく察する。俺の話をしていたんだと。しかも良くない話だ。 「そんな顔すんなよ。何も聞いてない。ボソボソ声がしたから、声掛けて入った方がいいかなと思っただけで」 軽く片手を振って続けろよと示したが、彼らは再び軽く顔を見合わせ、着替えの続きに戻る。なんとなく面白くない。 ロッカーに脱ぎ終えた服と持ってきたを突っ込んでから、仲良く揃って出ようとする彼らの背に声を掛ける。→

ルスハン 1.奇蹟 (続) 

「俺は…お前が間に合わなかったら、今ここにいない。だから、すげぇ感謝してる。俺だけじゃない。マーヴもだ。知っての通り彼は俺の大切な家族だ。この任務は確かに幸運の積み重ねで。まさに奇蹟っつーか。そういう風に俺も思うが。けど、お前の不断の努力がなきゃ、間に合うものも間に合わなかった。だから奇蹟よりお前の実力に感謝したい。…救ってくれてありがとう。いつかちゃんと礼がしたい。ハングマン」
内容は本音だった。礼がしたいという話も切り出すタイミングを窺っていた。なのに俺の声は硬質で。人付き合いは苦手じゃない筈だが、ハングマン相手だと何故か決まってうまくいかない。その半分は俺のせいではなく、ハングのせいだろうと思う。今だって、彼は足を止めたものの、振り返りもせず俺の話を聞く。
コヨーテは中途半端に俺を振り返ってから、チロリとハングマンの横顔を見やり、彼の肩に躊躇いがちに手を置いた。
「あー、そういう話なら。俺は先に出ておく」
俺とハングのどっちに言ってるのか分からなかった。ただコヨーテはもう一度気遣わし気にハングマンの顔を覗き込み、励ますようにトントンと肩を叩いて出て行った。ハングはまだ振り返らない。俺は素っ裸で、所在なく片手を首裏に当てる。→

ルスハン 1.奇蹟 (続) 

「えぇと」
無意味語で間を繋ごうとしたら彼は漸く振り返った。それも結構勢いよく。にぃっ、と例の如く態とらしく笑んで、腕を組んで見せる。着替えは私服だったようで、彼はジーンズにグレーのタンクトップ。身体を逸らす彼の動きに合わせ、ドッグタグがチャラチャラと鳴る。
「おっとりノロマの雄鶏君。君が優秀で類稀なる才能を持った俺と、命を救い救われる仲となったことを口実に友達になりたいと思うのはごく自然な事だ。しかしな?これまで俺とお前はそれなりに時間を共にしてきた。友達になれるならもっとずっと前になっていたと思うだろ?……な?つまり俺たちに相性が悪いって事実は突然変わったりしない。今俺たちはいい感じだろ?だから、何もこの完璧な成功体験を、二人で台無しにしなくたっていいんだ。……な?わかったかい?」
カッカッカとやはり態とらしく笑いあげ、彼は腕を組んだままくるりと両足の踵を軸にターンした。まるで機械仕掛けの人形みたいだ。→

ルスハン 1.奇蹟 (完) 

去ろうとする彼の腕を捕まえて、
「待てよ」
引き止めると、思いがけず顔が近かった。けれどもこれはいつもの彼の間合いでもある。とにかくコイツは顔の距離が近くて……だからいつも酷くイラついた。ノンケに無遠慮に距離を詰められて不快に思う事はよくある。だが、コイツは格別にヤバかった。なので俺が彼に居心地悪そうに顔を顰められる筋合いはない。俺は今まで、逆の立場で耐えてきたんだし。
「確かに現時点で俺とお前の友情も人間関係も先行きは不安だ。だが、俺はちゃんと礼がしたいって言っただけで、友達になろうと言ったわ……!?」
訳じゃない、と言おうとして、眼前のドヤ顔が唐突に、今にも泣き出しそうに歪んだ。驚いて口を噤む。ミッションから生還したあの甲板で、ハングマンも可愛い顔もするんだなと確かに思ったが。これは。
「え?友達になりたいの?何だ、その顔?」
キュッと結んだ唇をプルプルと戦慄かせてから、
「なりたい訳、ねぇだろ…」
かの鳴くような声がそう言った……気がした。

言っておくが、俺は一度もそういう目でハングを見たことなんかなかった。
確かに長い付き合いだった。けれども、ただの一度も、だ。

プルプル唇を震わせて泣き出しそうな諦め顔で、お前がそんな事を言う、この瞬間までは。

ルスハン 2.序章 

それは奇妙な幕開けだった。出会ってそれなりに相手を知っているという状態で十年かそこら、何も起こらず。寧ろどちらかというと険悪な関係だった。それが、突然。どうしてこうなった?
ハングを目で追うようになった。意識的なものじゃないからややこしい。「こう」なって、たった二日で不死鳥は目敏く異変に気づいた。
「どうしたのアンタ。このところずっと『その調子』じゃん?」
嘲るようなニュアンスが含まれているのは気のせいじゃないだろう。わかる。逆の立場なら俺もそんな調子で言うだろう。趣味が悪いんだなとかなんとか。俺は片手で顔を覆った。
「そんなに分かりやすいか?」
「まあねぇ。どう?」
いつの間に近くに来たのか、あるいは最初からフェニックスと一緒に居たのか知らないが、彼女が顎を向けた先にはボブが居た。
「まあ分かりやすいんじゃない?二日前くらいから?」
しれっと正確すぎてゾッとさせる男だ。娯楽室で俺達は三人並んで座っていた。さっきまでハングがコヨーテとビリヤードをしており、何か飲み物を取って二人で談笑しながら出て行った。俺は雑誌に何となく目を通していただけで、ハングを見ているつもりはなかったのだが。…ただ何となく『エロ…』と過って、その時、自分がアイツをガン見していることに気づいたのだった。

ルスハン 2.序章(続) 

「でもミッションの前からエロい目で見てたのは見てたと思うよ…?まあ今みたいに『好き…(はぁと)』みたいなのより、『犯すぞ、この野郎』みたいな感じだったけどね」
ボブはまたジュルジュルと何かを啜る。そして抱えていた紙袋に手を突っ込んでポリポリと齧る。ボブが食ってるとなんでも美味そうに見えてくる…。いや、そうじゃねぇだろう。なんだって?
「犯すぞ、この野郎??」
俺が聞き返すと、部屋の反対側で楽しそうにいちゃついていたファンボーイとペイバックが突然ビクッと固まって、即座に何もなかったかのようにさっきの続きに戻った。
ボブは紙袋に手を突っ込んで取り出したチップスをもぐもぐやってからチロ、とファンボーイの方に目をやり、再び紙袋に手を突っ込んで、
「自覚がなかったとは知らなかったけど、まあ今は少なくとも自覚があるならいいんじゃないの?」
と言った。フェニックスはずっと肩を揺らして音なく爆笑している。
「好き…(はぁと)…って」
俺は呻いて天を仰いだ。また部屋の対角線上の二人がビクッとした気がしたが、シカトする。
「ま、本気じゃないんでしょうけど。アイツは同僚なんだし、下手なこと考えないことね?」

ルスハン 2.序章(続) 

ちょっと凄みを効かせるように俺を見やったフェニックスに、意外すぎて俺は何も言えず、まじまじと彼女を見やる。隣でベトベトの指を軽く舐めたボブがぺろりとそのまま己の唇を舐め、
「ハングとフェニックスは結構仲良いんだ。君って、二人とは僕よりずっと長い付き合いなのに、何も見てないんだね?」
淡々と感想を溢した。エッ?!と思っていると、フェニックスはチロとボブに視線をやる。ボブがごめん?ダメだった?みたいな顔を返すと、フェニックスが軽い溜息を吐いて額に手をかけた。
「まあいい。確かにアイツとは色々考え方が合わないとこもあるけど、……つまり、友達なの。だから、アンタみたいなヤリチンと関わってほしくない」
「や、ヤリチン?!」
部屋の対角線で…以下略。ボブは紙袋の中身を食べ終わったらしく、寂しそうに中を覗いて、それから紙袋を小さく丸めた。そして腰を上げる。続いてフェニックスも腰を上げた。前に立つ二人を見上げる。
フェニックスはちょっと困り顔で、
「何その顔?本気じゃないでしょ?」
とやや唇を突き出す。…そんな顔もするんだなお前…可愛いな…じゃなくて。
「あ…?え?…うん…」
曖昧に何か音を発する俺に、ボブは眼鏡越しに明らかな侮蔑の冷たい眼差しを寄越す。

ルスハン 2.序章(完) 

え、ちょっと待ってくれよ。違う。えぇとだから。膝の上で緩く握った右の掌が汗で濡れている。顔からも変な汗が噴き出している気がした。
ボブとなす術もなく見つめあっていると、フッとイケメン風に笑った彼が、
「ヤリチンは、最低じゃないかな…」
と静かに言って、ポン、と俺の肩を叩いた。そして二人は去っていった。両手で顔を抱えて受けているショックが何だったのかを遅ればせながら解析し始めようとしたところで、
「おい、やめとけよ」
「いやだって!我慢できないだろこんなの!お前ボブに告白して振られたってことだろ…お前がヤリチンなのは確かだけど…!」
止めようとするペイバックを振り切ってワーワーと例の妄想モードでペイバックが早口で捲し立てる。
「すまん、一人にしてくれるか」
となんとかいうと、名残惜しそうにするペイバックがファンボーイを引きずっていった。えっと、俺ってボブが好きなんだっけ?

違います。俺が「好き…(はぁと)」なのは、ジェイク・「ハングマン」・セレシンであり、ヤリてぇかヤリたくねぇかで言うとメチャクチャにヤリてぇ気がする…けど。多分、そういうことじゃなくて。

俺はソファにバッタリと横に倒れる。目を瞑って「好き…」と呟いて目を開けると。出入り口に処刑人が立ち尽くしていた。

ルスハン 2.序章(完) 

間違うてますね…「名残惜しそうにするペイバックが〜」→「ペイバックが名残惜しそうにするファンボーイを」です。失礼いたしました!

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