これは最近知ったのだけど、戦争期、文部省主導で忠君愛国の象徴として顕彰された『万葉集』像を公然と批判する文学者は結構いたらしい。当時の日本は言論統制が行き届いていたというイメージとは少し異なるよね。
ただ、彼らが問題だったのは、批判した側も『万葉集』を美しい日本文化の象徴として捉えていて、文部省がやってるのは政治主義によって矮小化されたものだと思ってた点。
ナショナリズムに別の良心的ナショナリズムで対抗したわけだね。
目下日本では『万葉集』が政治利用され続けているわけだけど(ex.元号が変わった時の元首相のスピーチ)、ナショナリズムにナショナリズムで対抗してはいけないね。
でもこれは良心的な人であればあるほど陥りやすい罠とも言えるかもしれないな。
@mikanshibano 保守的な立場からするとそういった批判は十分説得的でしょうが、反保守の人でもこういった論調に陥りやすいのですよね。
私も近代に作った伝統じゃん…と冷笑してそこで止まってしまうことは多いので、気をつけねばなあと思っています。建設的にするには、その先が大事なのですよね。
@noki104
あーレベルは低いですが、伊勢神宮の御師や遊郭排除の話なんかを引き合いにして、だから天皇制を補強するために近代に無理矢理作った伝統なんてニセモノじゃん…と笑うだけで何かがわかったような気になる自分の浅薄さを、もうちょっと掘り下げてみないといけないなあ、と反省いたしました。
「どっちが本当の伝統か」みたいな話では、全然まともな批判になってませんものね。。。罠です、たしかに。