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めちゃくちゃ大雑把にいって、俳句革新運動って、俳句全体に影響を及ぼすというか、俳句のこれまでとこれからを分けるものだったわけです。
そういう意味では、社会性俳句も前衛俳句も文学ムーブメントではあったけど、俳句の革新ではなかった。新しい俳句と認められるものと、古くなって俳句ではないとされるものを分ける基準を作り、考え方の転換を迫ることこそが俳句革新運動の本質だと思うわけです。子規の写生もそう、虚子の有季定型も、新興俳句運動の無季もそう。
で、現在、その俳句革新運動の一番新しいやつが静かに急速に広がりつつあるのでは?という考えをいろいろな例をあげて試してみた。そしたら私は葬られる側だった。

よその結社誌に書きました。出る頃には誌面に収まらなかったことも言いたい。なんかこう、通説じゃないけど、筋は通るみたいな。

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そうこうしてるうちに平成無風に対する新しい見方についての評論が書けたので、それが結構荒唐無稽なんだけど、自分ではとっても面白くかけて、自信作ではないけど怪作なのではやく生まれ出よ…

まあほんと、俳句でも他のでもそうかもしれんけど、好きだから続ける以外いらなくない?

違法な入植がなぜ相次ぐのか……ヨルダン川西岸で「前哨地」急増の仕組み BBC調査報道 - BBCニュース
bbc.com/japanese/articles/czjy

”イスラエルが占領するパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区で暮らしていたパレスチナ人のアイシャさんは、昨年10月にイスラエルの入植者に銃を突き付けられ、50年間住み慣れた土地を離れるように言われたという。

BBCアイ(調査報道チーム)の取材により、入植者たちが作る「前哨地」が、ここ数年で急増していることが明らかになった。

BBCの分析では、西岸地区には少なくとも196カ所の前哨地が作られており、うち半数が2019年以降に設置されている。

前哨地はイスラエルの国内法でも、国際法でも違法だ。”

俳句はあまり才能でどうこうする文芸ではないというか、ないならないなりにやり方も楽しみ方もあるし、あっても桁外れの行動力と結びつかないと上手く活かせないし、ちょっと気の利いたこと書いたり言ったり取り合わせたりするのを才能と呼んだとしても、それ、ほんとに要る?ここではぐちぐち言うのに適してるけど、Twitterの方ではスルーしよ。

好かれるのもそうだけど、嫌われるにしても避けられるにしても理由を前もって用意しておきたい心理

あと、おそらく、年上も年下も多くの俳人が今後私の批判の対象になると思うので、俳句甲子園が眩しくてもあまり近づくべきではないという自省もある。

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いそがしかったのもあるけど、あまり失望したくなくて、させたくなくて、俳句の人との新しいつながりを結べないでいる。

あらゆる教訓や警告が意味をなさない日本で、この日に何かいう気力がわかない。

展示以降あまり体調が良くないというか明らかに胃腸が弱ってる。あと実は肝臓がかなり悪くてγGTPでちょっとびっくりされるくらい悪いからそれがさらに悪化してそう。ただ、それもこれも全部ここで頑張らなければ台無しになってしまうというのが怖くて無理に無理を重ねた結果で、しかもそれでどうにかなったので、繰り返してしまう。あと、自己管理ができなくて体調を崩すやつは信用できないとか言われて、なんか後でやんわり謝られたんだけど、こんな馬鹿みたいな放言に傷つくかよと思ってたら意外とじわじわ効いてる。「句会に来る人を信じたい」とか、「この暑さでも上手く健康を維持してる人すごい」とかなら「そうですね」で流せるのに、なんでそれができない人に銃口を向けるような真似するんだろう。内臓の治し方がわからない。

日曜日に三人展「凧、ハウリング、百葉箱、」にお邪魔してきました。俳句(句が生まれるまでの過程を重層的に見せてくれている)、版画やオブジェ、写真、音楽、どれもとても良かったです。とても居心地のよい空間でした。

会場のritmos coffeeさんのヘーゼルナッツラテが酷暑で疲弊した体に染み渡るおいしさでした…。手描きのカップホルダーがめちゃかわいい。八王子駅からすぐなので、機会があったらまた伺いたいお店…

ZINEやポストカードやキラキラシールなどおみやげを買い込んで帰ってきて、さっそく『綿菓子日記』を読みました。
個人的な生活や仕事、恋愛のエピソードが差別や虐殺への抵抗でもある今回の展示に繋がっていく、地続きなんだということが全体から伝わってくる本でした。挿画も好きです。

25日は休廊ですが、展示最終日でもある26日には18時からMKRDTSBさんのライヴの予定もあるそうです。



note.com/k_h_i_0726/n/n8da80ad [添付: 6 枚の画像]

この内容をもう少し丁寧に書いてブログかnoteで公開することは考えてはいるけど、ゴロツキ相手にそれをするリスクもそれなりにあるわけで、現状の腰が引けた臭わせしかできなくなった状態でひとまずよしとし、様子を見るのが最も望ましいとは思う。アレに関わり続けるのは、こんな言い方をするのは初めてだけど、何というか、魂が汚れるし、直視しないといけない汚いものは他に沢山有りすぎる中で、余りにもアレは卑小すぎる。

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将基面 貴巳 著『従順さのどこがいけないのか』
chikumashobo.co.jp/product/978
日本人というか日本社会の幼稚さってやっぱ『大人』が少なすぎるせいなのかも…。

“ニュージーランドの教師や親たちは、学校の授業で通常科目を学ぶだけが勉強ではない、と考えています。 高校生たちが大人になるための準備とは、学業を修めることだけではなく、就職して経済的に自立することだけでもありません。

大人になるということは、一人の市民(有権者)として公正な社会を築くことに貢献するために、政治や社会の諸問題に強い関心を持ち、積極的に関わっていくことも意味する、と理解しているのです。

ですから、高校時代から、環境問題だけでなく、女性や性的マイノリティ(LGBT)に対する差別、人種偏見に基づく差別、あるいはもっと身近ないじめの問題などに関して、現状に対する理解を深め、対策をどう講じるべきか、を授業や課外活動を通じて論じ合い、実際に行動を起こすのが当たり前となっているわけです。”

a.co/cRJOCAu

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