そのなかで、言葉だけを使った表現という意味では同じかもしれないけど、やはり批評と小説というのは違うものだなと思った。本当に書くことができてよかった。
「映画化」することで、活劇を室内劇にしちゃったような気もするんだが、私の映画化した『黄金列車』はこうしかならなかったということで(最後は室内から飛び出す感じにしたかったのは、「死の行進」との関係について書いてるうちから決めてた)。あと、うろ覚えだけど蓮實重彦が昔「『表層批評宣言』は70分ぐらいのバッド・ベティカーの感じで書いてて」みたいなこと言ってて、何のこっちゃ判らんがかっこいいなと思っていたけれど、今回、何となく判った。私の『黄金列車』論も90分ぐらいでばしっと終わらせたかったけれど、110分はある感じになった。130分とかになっていなければいいなと思っている。