『ボレロ 永遠の旋律』観ました!
この映画におけるモーリス・ラヴェルはアセクシャルなキャラクターとして描かれており、工場の機械から近代化をイメージした楽曲として生まれた『ボレロ』が他者によって「官能的な作品」として再構築されたことに激怒する(ボレロの解釈に怒った、という部分は実話だと思ったら違いました、ラヴェルが怒ったのはトスカニーニの指揮のテンポの早さに対してだそうです)んですが、そりゃ怒るわな、と思った。
その後ラヴェルは作品が作者の手から離れた瞬間にあらゆる形で受容されうる、ということを諦念的に受け入れていくんですが、その作品と自分との乖離から、記憶の時間軸が徐々に曖昧になり、脳の手術を受けて眠り続けながら音楽そのものと一体化するフィナーレに収束するのがなんだか物悲しくもありました。
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