つまり、「沈むゆく船」において最後に沈む"べき"部分の特等席を勝ち取る者は、単純に「殴り合いに強い奴」なのです
これら理由から、最終的に、全ての労働力の価値がAIやロボットなどのテクノロジーに奪われた後の社会においては、
「無価値な権力者」VS「無価値な無力」
の対立構造が生まれます
前者、つまり労働市場的権力闘争を見事勝ち抜いて、ほとんど構成員がいなくなった社会組織で"ドン勝"した"強者"は、その組織を「着服」し、その「"中の人"」として、ブランドを着て、ネットやメタバース空間上で情報発信を行い始めるでしょう
つまり、
無価値な権力者→匿名"中の人"
無価値な無力→実名"個人"
となっていくわけで
前者と後者の争い、あるいは秩序こそがDX時代の時代性となっていきます
というのはお金や物などではなく、組織そのものを「着服」して、組織をブランドとして身にまとい、「"中の人"」というとても臭いノリで騒ぎ出す #無価値な権力 に対する言及ですね
正直、あそこら辺を持ち上げてる奴、持ち上げてきた奴ら、分からない
彼らには危機感がないのか悲観性が足りないのか
自分自身がそれらに近い立場なら共感するのも分からんでもないが、Twitterの「シャープさん」、球場の「つば九郎」、YouTubeの「Vtuber」、みんな応援しているのは警戒心がない無邪気な大衆、およそそのような権力闘争とは縁がなさそうな人々なんだよな
真の敵が誰か、つまり自分自身の地位を脅かしかねない奴が誰だか分かってない奴らが多すぎる
いわゆる「ゲームのルールを把握していないオウンゴール野郎」という集団
今の世の中ではいわゆる「左翼」が一つの典型
左翼やオタク、フェミニズムこれらは似た心理類型だと思う
とりあえず何が敵だかさえ判別できてないから、「手近な弱者」に因縁つけて攻撃しているだけの集団
そもそもルールを把握するつもりすらないのだろうか
このような時代性を把握しないといつまで経っても「竹中平蔵」や「リア充」、「弱者男性」などに因縁つけて喧嘩売り続けるだけのオウンゴール野郎が量産される
彼らはもはやゲームのルールを理解せずオウンゴールを繰り返す迷惑集団、、、どころかやってることは乱闘、なんなら場外乱闘とかに近いな
いつも思うんだよな
同じような志向性持った集団、言わば「仲間」たちが持ってこうとしている流れがおかしすぎる
そんな叩き方したらそいつ、得するだけだから、もっとこうやって叩けよとかよく思うのよ
自分は何チームのユニフォームを着ているのか、そしてゴールはどこにあるのか、どうしたら点数が入るのか、まずはルールを把握しろ
延々と敵ではない奴、なんなら「可能性」に対して喧嘩を売り続け(瞬間的な強者性、勝者性の獲得のために)、それらを破壊することに邁進し、乏しくなっていく可能性と、点が入るごとに弱体化し、追い詰められていく中で、自らを追い詰める側の敵チームに馴れ馴れしく歩み寄って好かれてもないのに求められていない好意、あるいは既に"価値のない"お金を押し付け、懐いている様、ゴキブリとかに近い
やたら #馴れ馴れしいゴキブリ
結局ゲームのルールを理解しようとしない、自分たちが「"負けている"」ということを正確に把握することに恐怖し、ただひたすら目の前に見えた弱者に喧嘩売り続けるだけの民族の末路、それこそがこの主要産業0、友好国0のこのクソジャップなのですよ
私はこの民族は根絶やしにされなくてはいけないと信じています
#日本人イジメ
それはこの世から戦争がなくなればいいのに、とかこの世の犯罪者が全て裁かれればいいのに、といった感情と同じです
#馴れ馴れしいゴキブリ を作り出す諸悪の根源は「甘え」です
結局、現実を正確に認識することから逃げ続けてきた連中、それこそが #馴れ馴れしいゴキブリ なのです
アメリカや、遂には中国、あるいは東南アジア人に懐き始めたところを見ると、やはりこいつらはまだまだ全く分かってないんだなって思います
まだ原爆落とされたこと反省していない
#日記 、
そういや昔のこと思い出した
進学とかに関して親の「自分で選んで良いんだよ」的なスタンスは「首吊りで死ぬのと焼身で死ぬのどっちが良い?」的な問いに聴こえた
いや実際その通りの意味だったのかもしれないけど
結局そういうのって無責任さの表れだよな
医者もそんな感じなんだろ?最近
選択を患者に委ねるらしい
パターナリズムをある種一時的にやめてるってことらしくてインフォームドコンセントってのがそれに当たるらしい
要は「どうなっても責任はとんねえぞ」って奴ね
「同意」って実は怖い概念だからね
AVの同意書とか格闘技の理不尽な環境における同意書とかも「ちゃんと同意書取ってるから」とか擁護してる奴がいるけど正気か?
そんな同意書書かせてる奴、基地外にも程があんだろ
「同意の下行っています」みたいのもどんな同意やねんって話
人生の進路においてもAVにせよ格闘技にせよ死ぬ時にせよ全部「自己責任だぞ」って強迫が「同意」であり「自己決定」だからね
責任取りたくないので突き放しますってだけ
ほんまゴミ糞
阿保草も生えん
これが評価低いってのが驚きだな
やっぱネットの評価とか考慮すべきじゃないな
途中の爆破テロのシーンの緊張感とか脱出する際にバスにハンター?がやってきて"ちゃんと自殺できるかどうか"みたいなとこもすげかったやん
主人公の黒人が「拷問でもしろ」つってちょっと間空いて「・・・うんおk」みたいになるところの演出も上手いしその傲慢でってところあそこも衝撃
確かに洋画にありがちな「画面の暗さ」とかも相まって途中で登場人物がよく分からない(テロ起こす黒人が主人公の兄だって拷問シーンまで全然気付かなかった)とかあったけどそういうの含めて深みがあるわ
これからはネットの評価とか完全に無視して映画のタイトルとポスター画像?みたいのだけで見てくことにするわ
ストーリーとか抜きに映像的演出だけ取っても満点の映画(当然ストーリーも良いけど)
というかやっぱ俺こういうサスペンスみたいな作品好きなんやろな
あと途中のテロのシーンはまんま進撃の巨人のエレンが演説してる人食うところそのものだけど(正直進撃の巨人より上だろうが)これ低評価してる日本人が進撃の巨人評価してんのがよく分からんな
なんか切ねえな
ただただ切ない
なんでか知らんけど
寂しいわ
やっぱ一人になったらなったで寂しいし切ない
「人は影響を受けた相手ではなく影響を与えた相手を愛する」って俺の自作名言はマジでほんとその通りやな
あと「"一期一会"」ってネットでもあるんだなって思った
ネットで誰とでもいつでも連絡取れるようになったって10年くらい前は思ってたけど人の記憶は有限だしネット上の情報は半無限だからもう探せないこともある
見つからない相手もいなくなってしまった相手もいる
そう思うとなんか寂しい
あの瞬間、記憶のあの一瞬の思い出の中にそこで映り込んでいる人、名前も分からないしサムネも思い出せない、顔も多分知らない
そういう記憶のどこかにいる相手とはもう会えないもんな
会ったとしてもその時のその人ではない
一期一会で検索して出てきた曲、中島みゆきの「一期一会」昔聞いててこれもまた懐かしかったので今日からしばらく聞こっと
自分の事は忘れられてもいいけど俺はみんなことを忘れたくない
一人になるとなんかそんな気持ちになってしまうな
見守っていたい
つれえ
俺馬鹿だな
「一期一会」で検索してWikipediaで見つけた井伊直弼が一期一会に関して言及した『茶湯一会集』ってのの一節がすごい良いな
良かったので載せとく
🍵 🍵 🍵 🍵 🍵 🍵
「抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會(え)なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。」
🍵 🍵 🍵 🍵 🍵 🍵
#中の人に支配される!
これからは「匿名"中の人"」VS「実名"個人"」の時代です
Vtuberが着ているのは「美少女or美少年」ではなく「ブランド」であることを理解しなくてはいけません
彼らは「ホロライブ」とか「にじさんじ」というブランドを帯びているが故に強いのです
これは「シャープさん」とか「つば九郎」とかと全く同じ流れですね
ブランドと言ってもそれは「お金で買えるブランド」ではありません
この「 #属人化する組織 (これは名前を変える可能性があります、 #組織の着服 などに)」という文脈で捉えた場合、着るべき対象は基本的に「組織」となります
DXが進んでいく中で、最終的に誰が労働市場という「沈みゆく船」で生き残れるか、つまり最後に沈む”べき”場所を奪い取ることができるか、それは「優秀な労働者」ではなく「強い労働者」なのです
テクノロジーに代替されない能力はありません
全て代替されます
重要なのは「無価値であるにも関わらず賃金を受け取れるだけの力」です
組織においてはそういった人々だけが生き残り、それ以外は組織や市場から続々と淘汰されていくことになります