宗教差別への反論
https://bsky.app/profile/sykality.bsky.social/post/3ks4m5cprd22d
> 宗教と差別的な行動が不可分な政治運動はある
>信仰のあり方を疑問視するもの
これこそ宗教への差別的な思い込みの最たるもの、と思います。
「SOGIと加害を結びつけるな」「どんな要素を持つかと実際に加害/差別を行うかは別」とこれまで散々言っていたのが、何故SOGIが宗教に置き換えられただけで分からなくなるのでしょうか。
差別や加害として表出した時点でどんなものでもアウトですし、その言い訳にSOGIや信仰を持ち出した者がいれば「口実に利用するな」と思って当然では。
それとも「利用されるSOGI/信仰の責任だ」と思いますか?
そして、「どんな信仰を持っていても差別を表出するな」と求めることは、信仰のあり方の否定とは全く違います。
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宗教差別への反論
身分制の温存や排外主義等を、貴方が「神道」と呼ぶものの中でどのような扱いとすべきか、それがどの程度信仰上の根拠のあるものか、議論したいとお考えですか?(それとも信仰の分野に議論はないとお考えですか?)
(所謂)国家神道の特徴は記紀の(一部の)偏重ですが、記紀は読まれましたか?万世一系の考えの元となった箇所についてどう思われますか?
例えばトランス差別に反対するための記事があったとして、それに対し「トランスの誰かが昔こんな問題を起こした、ちゃんとこっちにも言及しろ」などと言い出す者がいたら当然に差別だと思うのですが、
何故こちらにはKKKだの日本会議だの戦争責任だのそれ宗教か…?というようなものばかり、両論併記のような顔で並べてくるんでしょうか。
それを並べること自体が差別的だと何故お分かりにならないのでしょうか。
何度も言いますが、信仰の有無や種類という要素と、差別や加害や犯罪など行為を紐づけるのは差別です。
戦争責任も琉球やアイヌモシリの占領責任も、身分制やルーツによる差別構造を温存している責任も、ニホンジンをやっている者ならばそれぞれ被害者以外は大半の者が(もちろん私も)持っています。そしてそれは信仰の有無や種類だけでは増減しません。
差別的な言動はおやめください。