ジャン・バルジャンは、パンを一切れ盗んだだけで長く牢獄にいることになってしまった。本当に悪いことをしているのは誰なんだ。悪いことってなんなのか、ほんとにそんな重罰に値するのか、誰も味方はいないのか。
翻ってジャベール警部は間違っているのか。なぜ、身を投げなければならなかったのか。
このような問は現代でも同じように問われ続けるべきものなのだろうけれど、自分には答えようがない。なんとなくしかわからない。そんな問も含まれるレ・ミゼラブルは、映画でもなくミュージカルでもなく、完訳で読まなければ出会えない。だからみんなに読んでほしいし僕ももう一回読みたいとは思っている、けどちょっと元気ないから無理、長すぎって……
あなたが今まで読んだことのある本で一番好きな本はなにかと聞かれると「レ・ミゼラブル」と答える。岩波文庫の豊島与志雄訳で20歳になる年の大学の夏休みに読んだ。それまでにも青い鳥文庫の「ああ無常」を読んだことがあった。ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を友達に誘われて観た。どちらもとても好きだ。特に映画はもう3回以上は観た。しかし、原作は、これらとは全くの別だ。全く違う。
人には人生が、その人だけの生き方がある。人の生き方にはストーリーを語るだけでは表せない奥行きがある、なにかがある、そんなことを感じさせてくれた(ついでに、パリの下水道事情にも詳しくなれた……)。
ジャン・バルジャンは、一夜の宿を与えてくれた司教の銀の食器を盗む。司教は、食器は彼に与えたのと言い、捕まった彼を救う。これはストーリー。なぜ司教はそのような振る舞いをするのか、彼がそのような振る舞いをするのは彼が「司教」という身分の者だからか。この疑問はストーリーを語る映画では十分に描かれていない。司教がいかなる人生を選びいかに生きてきたか、映画の中では語り得ない。しかし、原作は違う。司教が、「ミリエル氏」だからジャン・バルジャンは救われた。そう感じさせる程にミリエル氏の生き方が深く描かれる。一事が万事そんな風に書かれている。だから面白い。
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インスタも実はアカウントを持っているのでフォローしてくれたら泣いて喜びますが、全然投稿していません。
A4用紙で1枚以上の長さの文章を書けるというのは、当たり前の能力じゃないんだなと、思ったりした。僕は、ある程度の長さの文章を書くことが、学生時代からそれなりの頻度であった。そのころから身近にいる人たちは、読んでちゃんと意味のわかる文章を書いてくれていた。だからある種あたりまえのことのようにおもっていたけれど、ちゃんと書けないと生きていけない思っていたのだけれど。
まずはさあ、ちゃんと意味のある段落わけはしてほしいよ、最低限。エッセイなら別にいいような気もするけど、そうはいっても段落わけには意味が含められてそうだなと思うことが多いよねえ。考えて改行をしてクレメンス。
あとは、小見出しをつけるのはいいけど、つけるなら、その小見出しに応じた内容を書いてくれよな。「僕の好きな日本酒」という小見出しの段落で、「僕は日本酒が一番好きであるが、たまには、梅酒も飲む。特に、千年梅酒は梅酒としては別格で…」みたいなことをやるのはどうかと思った、しらんけど。
最後に、僕がどんな文章が好きなのかというお話をしたい。僕はは、一文が不必要に長くはなく、かつ、接続史が最低限のものが好きだ。なぜなら、読んでいてリズムがいいから。油断すると一文は長くなりがちなので気をつけた方がいい。なくても意味が通じるなら接続詞はなくていい。
ボッチが好きな寂しがりなのでボッチは嫌だけどひとりが好きです
昨日は綺麗な富士山が見れた。昨日まで僕が知っていた富士山は東海道新幹線の2列シートの窓側の座席から見える富士山だけ。小さな窓から見る電線やら工場やらの向こうに小さく見える富士山しかしらなかった。
富士山。信仰の対象にもなる山、その山は想像以上に大きかった。標高は3776mで昨日登った山の2倍ほど。でかい、周りの山の上に見える。ずっと遠くにあるはずなのに。山頂に向かう道中「富士山が見えるよ」と言われて木々の隙間から指差す方向を見ても富士山が見つからない。なぜって、思ったよりもずっと上の方に富士山があったから。でかかった。隣の山を見る感覚で探したら見つからなかった。ずっと遠くにあったのに。
写真では見たことはあったけれど実際に息を切らして登った山の上、下界の気温よりもずっと寒い山頂で真冬を思わせる冷たい風にあたりながら見る富士山は神々しかった。雪を被ったその山は写真からでは伝わらないけれど太陽に照らされて輝いていた。綺麗だった。富士山に登ってみたいと思っていたけれど、こんなところ登らなくてもいい遠くから眺められるならそれで十分だと思ってしまうくらいには。
東京に来てから昨日が初めての奥多摩山行。いつもこんなにも綺麗な富士山が見れるわけではないらしい。願わくば、また奥多摩に行く時も晴天に恵まれんことを
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『マチネの終わりに』(平野啓一郎・文春文庫)の前半部分を読んでいる。これ面白い……
「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
この言葉、蒔野と洋子が初めて会話した夜の洋子の言葉。読み進めると蒔野にとってのこの夜の出会いという「過去」意味が変わっていってる気がするし今後もまた変わっていくのではないかという予感がある……
僕も多分、「あの日」を時間が経つに連れ変えてしまい変わってしまったのではないかとか思った。
「しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか」だってさ。
Twitterからやって来ました。Twitterも同じIDです。本を積むのが好きです。日本酒と芋けんぴが好きです。ポッキーでもいいです。ヴァージニア・ウルフの本をちゃんと読みたい。願わくば英語でちゃんと読みたい、生きてるうちに。