(寝ぼけながら書いているので、訳のわからない文章になっている恐れがあります。ご注意下さい)ここ最近、疲れている時に読む本というのはほぼ決まっていて、『富士日記』か『ウィトゲンシュタインの愛人』だ。心の奥底で消えかけている灯火にかろうじて薪をくべている気分。この表現は真夏には暑苦しいだけだけれど。まあいい。どちらもある意味ほんの少し過剰な部分があるのだけれど、その流れにゆったりと身をさらしているのが心地よい。ゆく川の流れは絶えずして……まあなんですよ、澱まないということです。じっとしていると腐りそうなので。
ぜんぜん関係ないけれど、くたびれ果ててぼんやりしながら、こうしてただただ扇風機の風にあたっていると、干物になったような気分になる。「こうして、乾いた温風に一晩さらしていると、熟成したいい干物になるんですよ」って、そんなはずはないのだけれど。寝室は湿度たっぷりのいかにも夏らしい鬱陶しい環境なので、屍肉・生肉の類は干物どころかすぐ腐敗するだろう。干物という表現は、あくまでも気分がカサカサと乾いているという点を指しているのであって、私が亡くなって単なる血の通わぬ生肉の塊になった時のことを言っているのではないのだ。ないのだ。バカボンのパパなのだ。
さあ、吐き出すだけ吐き出したので、二度寝をしよう。