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黒澤明『生きる』を見た。
“生きる”というのは、“仕事をする”ということです。あなたは“ためになる”仕事をしていますか?働け。といった映画でしたね。

主人公は役所でお役所仕事をして無為に日々を費やしていましたが、末期の胃癌を患い、それまでの生き方を後悔し、小さな公園を作るために奮闘する、というお話。
奮闘すると書いたものの、作中奮闘する場面はあまり描かれず、主人公の葬儀の場で仕事仲間が断片的に回想するだけです。
ていうか、ご遺族の前で、渡辺君は頑張っただの頑張ってないだのスタンドプレーだっただの、よくまあ盛り上がれるな。ご遺族がほぼノーリアクションなのも、不思議な感じ。

映画の尺を割いて描かれているのは、余命幾許もないと知り、自分は何も成し遂げていないと気付いた主人公の煩悶です。
夜の街で酒を飲んだり、パチンコを打ったり、キャバレーで戯れたり、元部下の若い女の子と街遊びに興じたりと、彷徨い続けます。
濡れた犬みたいな主人公のアップがとにかく多い。

主人公の葬儀の場では、渡辺君を見習おうと仕事仲間たちは奮起するのですが、その翌日からはいつもと変わらぬお役所仕事で、といったところで映画は終わります。

“働く”“生きる”といったことは、分かっていても難易度の高いことよねーって感じでした。

わたしなんかは、「生活してるだけで偉いじゃないか」(わたしは生活できていないので)と思い、「“仕事”をする前に“生活”をしろよ」と思って、サン=テグジュペリとかに「アリ塚のアリ(俗世間の構成員)でいるのも大変なんだぞ」と反論したくなるのですが、
ただ生活に甘んじていては世界を食い潰すだけで何にもならないじゃないか、と言われれば、「ハイ、オッシャルトオリデス」と返すしかないんですね。
まあでも、世界に対して何かをやれない人、やらない人をあんまり責めてくれるなよ、やれる人はやればいいよ、と思いますわね。

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