小川哲『ゲームの王国』読了。
これ、感想か難しい。自分なりの再解釈・再構築が難しい。
上巻は1975年のクメール・ルージュ。下巻は半世紀飛んで2023年(近未来)での、脳波を使ったオンライン対戦ゲームの開発。
お話としては、ボーイ・ミーツ・ガール。一瞬しか邂逅しないけれども。

ゲームとルール、記憶と物語、なんかそこら辺がキーワードだと思うのだけれども。
ルール、みんながルールを守れば、幸せになれる。ゲームは構造的にルールの逸脱を許さない。
現実は、ルールを守らない者、ルールの裏をかく者、ルールの解釈が違う者が混在している。
記憶、記憶はあったことをそのまま記録していない。抽象化された概念が記憶され、それら概念が思い出として再構築される。概念が再構築されたものは、物語とも呼ばれるかもしれない。
同じ概念でも、人によって再構築される物語は異なる。大枠は同じでも細部に差異は生じている。
繰り返し思い出された記憶は物語として固定化される。物語化された記憶は、他人との共有も可能になる。
ロン・ノル政権下では、ルールがなかった。ポル・ポト政権下ではルールが徹底された。国民議会体制下ではルールはあるが、守られていない。

で、この『ゲームの王国』はどういう物語なんだろうか。

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ニーチェの『ツァラトストラかく語りき』の “もしなんじらが一度を二度欲したことがあるならばーー、また、「なんじはわが意に適う。幸福よ、刹那よ、瞬間よ!」と言ったことがあるならばーー。さらば、なんじらは万有が回帰せんことを欲したのである!” あたりの話なのかなあ、うーん?
人生において、至高の瞬間があった。再びその瞬間を追い求めるだけの人生だった。人生において至高の瞬間があれば、その人生が苦難にまみれていようとも、その人生は肯定できるのではないか、みたいな感じなんだろうか。
ボーイ・ミーツ・ガールですよ。

『ゲームの王国』、勃起で不正が分かる男とか、輪ゴムから預言を得る男とか、泥から生まれ土の声を聞き土を操る男とか、13年の沈黙ののち精霊の声で精霊の言葉を話す男とか、綱引きで天啓を得る男とか、いろんな異能者が出てきます。異能者の異能は異能者主観ですが。

あ、『ゲームの王国』ね、登場人物が「分からない言葉があったらグーグルで検索してください」みたいなことを、ちょいちょい言ってて面白かった。
で、ど田舎の描写も凄かった。抽象的な言葉は持たず、譬え話も一切通じない。呪術は具体的で現実的なので採用される。そんなクソ田舎でも故郷は故郷で。

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