村上春樹『1973年のピンボール』読了。
前作(風の歌を聴け)より若干ファンタジー度が上がってる感じた所為か、前作よりは肌馴染みが良い。とは言っても、相変わらず書かれている言葉はわたしの表面を滑っていって、話を読めてはいないのだけれども。

とにかくイメージの断片が散りばめられていて、それが絵になっているような、いないような。いや、なってないな、たぶん。手持ちのイメージの手数が多くて、羨ましい。
風景の描写が、明るい静かな夜みたいな感じで良かったです(人間が出てこなければいいのになあ、みたいなことも思った)。

で、ええと、これは秋の話ですね。作中の設定でも秋なのですが。
まず、60年代の安保闘争、学生運動といったものの季節は、夏だったわけです。熱気があって、みんなが参加したお祭りだった(もちろん参加できなかった人間もいるけれど、そういう人は除外されてる)。

それで、1973年に何が起きたかというと、ベトナム戦争の終結です。
1969年の安田講堂の陥落で学生運動は敗北し、1972年のあさま山荘事件で理想も地に堕ちその敗北は決定なものとなっていたわけですが、ベトナム戦争の終結でベ平連といった諸々のそういった活動も終わるわけです。

夏が終われば、秋が来ます。
『1973年のピンボール』は、夏のお祭りが終わった後の、余熱は感じながらもそれも冷めていく、秋の、清々しい寂量感、安堵感、閉塞感といった気分を書いた小説なのではないかと思いました。

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あ、『1973年のピンボール』の洒落臭ポイントは、主人公がカントを読んでるところですね。
お前、それ、絶対カントじゃなくても何でもいいだろと、洒落臭えと思いました。
「◯◯じゃなくてもいいだろ」ってのが、わたしはかなり嫌なんですね。
そういう虚しさの集積が味なんでしょうけれど。

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