2023年2月11日
ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』「盗まれたシャツ」読了。
文庫本で10頁と1行しかない短編なのだけれど、凄まじいな。
主人公は難民キャンプに住んでいて妻子がいる。配給は滞りがち。キャンプの倉庫には大量の物資があるので、そこから少しぐらい盗みをしてもいいんじゃないかぐらいは思ってる。そうしたら、家族はパンを食べられるし、息子には新しいシャツを買ってやれる。寒い中、たいした収入にもならないどぶさらいをやっていると、いけすかない知人がやってきて物資のちょろまかしをやらないかと誘ってきたので、その脳天をかち割って、終わり。

これ、悪の誘惑を断ったとか、そういう美談では決してないんですよ。どうしようもない怒りと絶望なんですよ。
少しぐらい物資をちょろまかしたほうが、幸せになれるんですよ。家族はパンを食べられるし、息子には新しいシャツを買ってやれる。
で、少しぐらい物資をちょろまかした結果が配給の遅延で、10日粉の配給が遅れる食べるものがないという深い絶望を生んで、主人公に知人の脳天をかち割らせてるんですよ。
でも知人の脳天をかち割ったところで事態は好転しないし、主人公の一家で言えばたぶんこれからさらに苦境に陥る。
でも、そうせざるを得なかった。その怒りを叫びを黙殺し続けて今があるし、これからもある。

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ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』「彼岸へ」読了。
文庫本で15頁の短編。熱いスープが冷めるまでのまどろみの中、彼岸から此岸への糾弾。これも、感想が難しい。というか、読むのが難しい。
題名が「彼岸から」ではなく「彼岸へ」なんだよな。
作中の “皆さん、パレスチナ人の難民キャンプをぜひ見ておくべきです。それが消滅してしまわないうちに” という言葉が痛い。
これは、この小説を読んでいる、わたしのこの行為が、まさにこういうことなので。

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』「戦闘の時」読了。
三世代、二家族、18人が住んでる家の男の子の話。家の生計を立てるために、従兄弟とともに市場で窃盗をさせられており、ある時五リラを盗んだことにより一家に騒動が起きる。
まず、不勉強なので、五リラがどれぐらいの価値があるのかが掴めてない。主人公一家にとっては大金であることは分かる。
主人公が五リラを握った使わないまま失ったしまったことを、どう捉えたらいいのか考えあぐねてる。主人公は五リラをなくしてしまったことを悲しんでいたが、わたしは主人公が五リラを使わなかったことが悲しかった。
そして、この話の大人は働いてないなあと思った。子供である主人公は稼ぎを得ているのだけれど。「悲しいオレンジの実る土地」や「路傍の菓子パン」のように、おそらく頽れてしまった父親が悲しい。反面、子供はこの戦闘時を適応して生き抜いている。これを希望としたくないのだけれど、おおよそそのようなものなのだろうと思う。
最後、主人公は「きみにはわかってもらえないだらうなあ」と語る。うん、わたしにはわからない。わからないと断絶すべきではないが、わからない。

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』「ハイファに戻って」読了。
新婚時代にハイファイという地中海沿岸の街に住んでいた夫婦が20年振りに赴く、その車中という、わりあいに穏やかな雰囲気で始まります。
その帰郷は、住人として帰るわけではなく、旅行者として立ち寄るという、複雑なもので。
作中の20年前、イスラエルの侵攻で居住を追われ、混乱の中そこに生後5ヶ月の長子を置き去りにしてしまったことが語られます。
20年後、夫婦は長子との再会を果たすが、長子は祖国を守るためにイスラエルの兵役に就ていた、という話でして。
この長男が「あなた達は息子を取り戻すために戦うべきだった」と語るわけです。それを聞いている主人公は、次男がパレスチナの義勇軍に参加したいというのを止めるべきでなかったと、悔いてるわけです。
その場いる母親は、長男の言葉が分からず「彼は何と言ってるの?」と尋ねるわけです。

わたしはこの話に何を思えばいいのでしょうか?何も思えないし、思いたくないですよ。
長男を養育したユダヤ人の夫婦はポーランドからの移住者で、アラブ人の子供を養育する程度には善良ではある。
奪われたからと言って、他者から奪ってはいけなかったのだと、わたしは安全圏から嘆くしかできない。

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