統治の倫理は愛憎を含む権力ゲーム(政治空間)で、市場の倫理は金銭を介したドライな関係(貨幣空間)だ。これはどちらが優れているということではないが、2つの倫理を切り分けないと社会は混乱する。
市場の倫理に政治が混入すると、ネポティズム(縁故主義)や汚職・腐敗のようなことが起きる。その一方で、統治の倫理に貨幣が混入すると大切なものが「穢れて」しまう。
これは愛情や友情が「かけがえのないもの(プライスレス)」だからで、値段(プライス)のつけられないものを金銭に換算すると「恋人」は「売春婦」に変わる。わたしたちはお金を欲しながら、同時にお金を「汚い」と感じているのだ。