そもそもスポーツを最初にやるきっかけの多くは、ただ転がるボールを追いかけたり、投げて何かに当てたりすることの楽しさや、終わりのない鬼ごっこやタクシーごっこをずっと続けるような、風や水を切って動くことの興奮や楽しさだと思う。それがいつの間にか学校代表や国代表の責任であるとか「適正な身体」を持っていること(それは場面ごとに基準が変わる)や「運動能力が高い」ことを証明するためのテストでいい結果を残すためといった、スポーツの楽しみにとって「余計」なことに意識が覆われて、そもそもなんでスポーツや運動をするのかということが置き去りにされてしまう。だから体育が嫌いだった人が大人になって、自分の意志とペースで運動するようになったら楽しかった、ということがしばしば起きる。プロスポーツはエンタメにもなるし、その道を選ぶ人を否定する気はない。だけどスポーツを経験する圧倒的多数(99.99%以上)の人がプロのアスリートにならないことを考えれば、エリートモデルのスポーツがメディアでも教育でもこれだけ幅を効かせる状況はスポーツの可能性を狭めてしまうし、何より家父長制のツールであり続けることを許してしまう。
義時どのは激怒したけど、この仏像私は好きだな。
腹部が出ているから「餓鬼」なんだけど手は「施無畏印」と「与願印」を結んでいて、醜く崩れた顔であっても、コレは仏様だと思うよ。限りない慈悲の光と願いを叶えてくれる、という印相を結んでいらっしゃる。
元々が奈良仏師だった運慶どのには馴染みの東大寺毘廬遮那仏と同じ印相。左右非対称できっと光の当て方で印象がガラリと変わる、見ごたえのある仏像だ。
心のなかでは救われたい、報われたい、でも餓鬼だからけしてして満たされることがない悲しさ。義時くんの魂の形を表したものだと思う。手向けとして私ならありがたく受け取る。
ただ予備知識無くいきなり渡すのはやっぱりお人が悪いよ、運慶どの。
#鎌倉殿の13人
「メセナ」とかだれか覚えてるんかな…。
社長が稼いだ金を社会や従業員に還元することもなく「宇宙に行く」だの抜かして何十億放り出すような振る舞い、ふた昔前ならフルボッコだったろうし、どう考えてもフルボッコにする感覚のほうが正しいよね
消える前の激ヤバポリシー本文、WebArchiveに残ってたから置いておきますね。
(今般のTwitter CEO イーロン・マスクによる、著名調査報道ジャーナリストたちへの恣意的な嫌がらせ以外の何ものでもないアカウント凍結騒動ですが、日本語圏のTwitterおよびソーシャルメディアの雰囲気を見ると、総じて主要マスコミへの極度の不信を抱いているように見えるインフルエンサーによる、マスク側の一方的な虚偽含みの主張を鵜呑みにした強弁が多く伝搬され、判断に必要な客観事実の伝達がなされていないように見えます。
主要な日本語圏報道媒体も記者の方々が事態の理解ができていないような記事ばかりなので、英語圏のIT界の動きに詳しい平和博さんの記事を貼っておきます。
今のところ、日本語記事で唯一と言ってもいい客観的事実の経緯が詳しく書かれた記事です。)
▼「ジャーナリスト追放」「マストドン排除」マスク氏の「表現の自由」の意味とは?
(2022年12月17日付記事)
📄 https://kaztaira.wordpress.com/2022/12/17/meaning-of-free-speech-for-musk/
🖋️ by @kztr
これは知りませんでした。
この文化度。
17世紀から権利として認められている、バレエダンサーが42歳で年金を受けられる制度を、マクロンが64歳まで引き上げようとした事に対するストライキの一環で、パリ交響楽団のバックアップのもとオペラ座前で白鳥の湖のパフォーマンスを行ったと。
2019年の出来事。
これ、とても洗練されているだけでなく、交響楽団だけでなく様々な人々がバックアップしないと成り立たないわけですよね。
いやあ、文化とはこういうことかと、改めて感じさせられます。
鎌倉殿の13人を見届けて魂が抜けている
#鎌倉殿の13人
Twitterからの避難アカウントです
ドラマ実況、感想アナログ絵の人です
Twitterと連携してませんが本人です
blueskyとインスタも同じ顔でいます