これを読んだ。もっと人生の序盤で読んでおきたかった…
https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/24/04/22/01363/
当たり前だけど、私は誰かの考え方を変えたいとは思わない。どういう知識や経験をもってどういう考え方をするかは人それぞれだ。けど考え方の押しつけのようなものを感じさせる事を言ってるのだろう、それは直さないとな…
整体に行ったら、膝のとこが痛くなくなった…すごすぎる…
ものすごくバズってる(なんで?)わりにはそれほど凄い意見でもないんだけど、私的空間と公共圏の線引きの動揺からも考えられるんだろうな。
"公で活動している人の名や作者名は敬称をつけないっていう基本ルールが失われて、敬称つけないと失礼と言い出す人がいて、これまでつけなくてよかった敬称をつけないといけなくなってる感。はもう戻れないのかなー。だろうなー。"
https://twitter.com/yonemitsu/status/1824768941706924215
ツリーの途中にあった、この箇所でなるほどとなった。>「アインシュタインは偉人だがさんづけしない。私的な関係性がないからだ。学校の先生は偉いと思ってなくても先生と呼ぶ。故人や歴史的人物にさんづけしないことが多いのはたいていの場合私的な関係性がないから、つけてない。」
「私的関係がない」と言い切れるバッファが薄弱化した、というふうに整理できそう。
歯医者終わり、歯がつるつるになった。帰りに歯医者の近くにあるワインショップを覗いてみたら、つい2本も買ってしまい、来週末までは飲酒できないから保存しておく…地震が来ませんように…
小学校の頃で聞いた戦争に関する加害体験の記憶(私がしていいか分からないが、私も毎年思い出すほど記憶に残ったので)
そのお話に来てくれた方が一番記憶に残ってて今も夢に見ると仰ってたのが、2名の中国人男性を上官に銃剣で刺して殺すように命令されて磔にされた同僚と2人で1人1人ずつ刺して殺した、その人達は民間人だった、という話だった。同僚が刺す方の方は泣いて必死で中国語で「何もしていない」と言っていた、と(話者の方は中国語が分かる人)。自分が刺す方の方はじっとただこちらを見て睨むわけでもなく呆然とするわけでもなく「今から自分を殺す私の顔をしっかり覚えていようとしている」と思った、と仰っていた。その後2人とも簀巻きにして川に流し、その遺体が包まれた簀巻きがぷかぷか流れていく様子が目に焼き付いていると、最後の方は涙を押し殺しているような声でお話されてたのを覚えてる。戦争体験を話す機会には必ずこれを絶対に話す、今もきっと彼は私を見ている、私のする事をじっと見ていると思ったら絶対に話さなければいけない、話さずにはいられない、と仰っていた。
私も戦争の被害体験は教科書や資料集、毎年のニュース等で観ていたが、加害体験を話す人に出会ったのは当時初めてだった。夏に限らずよく思い出す。