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持続可能な場所づくりはすごく大きな課題

私の体調に関係なくナモジが開催できて、私の次の日の仕事や予定に関係なく居たい人が居たいだけ居られる寺だったら、いいなあ

ナモジ、出ていく車を見送りながら、急に心細くなるときがある

やけどをいいわけにして髪の毛洗わなかった

あしたのおやつ考えてるだけで少し希望がある

インスタでもいわなきゃ…
ツイッターは…もういいかな…

しこたま飲む日は、どんなに潰れてもいいように次の日もやりくりして時間を作るのだが、連れあいから子どもの歯医者の予定を相談される。「その日は飲みに行った次の日だからむり」と言ったら連れあいがアハハ!と笑って「そんなら俺が半休取って連れてくね」と言った。それで終わればよかったものを、わたしは無性に自分が情けなく恥ずかしくなりどうしていいかわからなくなったので「笑うのはおかしい!」といって怒りまくった。そして「わかってる、わたしがおかしい!すみません!」と怒りながら謝りながら、あたまのなかでは(pmsみがすごいな…生理まであと5日ほどか…)と考えていた

娘が遠足で立ち寄った神社で参拝するよう教師から促された件について、連れあいが校長に申し入れ。二人揃ってうるさい親やと思われてるやろな〜

冷蔵庫がすっからかんで、開けたら一瞬「おー片付いてる」って喜んじゃった。われわれは今夜何を食うのか

しんどい夕方、いちばんやってはだめなことがある。それは自分が何も達成できていないことを直視できず、否定したいがために、子どもに理由をつけて責めること。だらしないだとかやるべきことをやらないだとか言って。

今日は何もできないのをみとめよう。そして、子どもたちが何でもできる人たちだってことを思い出そう。

法話の仕事つらいな
人前で大声で話すことなんか何も持ち得ないんだもの

自覚的に「信仰があります」と言って生きる人は、私も含め、数だけで言えば少数かもしれない。でもそれだけでマイノリティとは言えない
その宗教が、どれだけの無自覚な信仰に支えられているか。社会規範や文化として浸み込んでいるか。他宗教から見たら完全な宗教行為にも関わらず、違和感を感じず、信仰に自覚的にならなくてよいのはなぜか

すきな本屋さんから届いたメールマガジンをチェックしていたら、「宗教信仰者はマイノリティ」という内容があり衝撃だった。さすがに雑過ぎでしょうと思った。この社会がどんな宗教に根ざして政治や文化を形作ってきたかを思えば、圧倒的特権性を有する宗教だってあるわけで。
いち個人の信仰者というより、宗教者の、特権に無自覚な部分ってかなりあると思うので、ここらへんは慎重に読んでいきたいと思った

今日のお仕事先、昼のお座と夜のお座の合間に家に帰らせてくれて、「帰って夕飯するのが一番嫌だよね」と言って家族分の弁当も持たせてくれた…

子どもにイライラしてしまう最悪のパターンになりそうだから急いで仕事に出る。仕事でしんどくなり仕事でごまかすのきつ

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