門徒/氏子/〇〇教徒 といった、いち市民が宗教について語るのと、宗教者といわれるような立場にある住職や神職や牧師が何を言うかでは全く違ってくる。日本の社会で宗教者として仕事をする以上、自分が僧籍なり資格なりを求め、結果それらを与えた宗教集団が、社会に与えてきた影響や、歴史的に何をしてきたかということに大きな責任がある。それを考えたら、伝統宗教とよばれるものに属する宗教者は「差別してきた側」にしか立ちようがないと私は思う

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仏教でいえば、「お盆」や「お彼岸」のような季節の節目、死者儀礼、仏壇、手を合わせるジェスチャー、さまざまな仏教由来の言葉、コンビニよりも数が多い寺…こうしたものが残ったのは、体制を保守し、特権を保持してきたからだ。そこで、どれだけの存在を排除してきたのだろうか

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