昨日のニュースを見て寝ようと、録画してあった、「サタデーステーション」を流したらバスケの試合で、日本が何十年ぶりかで自力でパリオリンピック出場を決めた。とのことだったが、普段、バスケなど、いやスポーツ観戦すらしないのでわからないのですが、異様な盛り上がりをみて、勝って良かったと思うより、怖かった。アナウンサーから解説からだれがだれかもはやわからないくらいの興奮が伝わってくる。こういうゲームをみると良く思うのだけど、相手チームを応援する人がだれもいないのだ。日本にも外国人も多いはずだけれど、だから当然、相手チームを応援し、惜敗を残念がる姿とか、そういうものがあって良いはずなのだけど、会場全てが日本チームを応援しているかのような中継。負けたチームをひとかけらも思いやることもない放送。これはナショナリズムだ。もはや、日本は衰退国、どこにも自慢するところがないので、こういうスポーツでいい成績をあげると異様なまでの盛り上がりを見せる。結局、普通のニュースはなかったようだけど、もう気持ち悪くて最後まで早送りにした。怖い😱
「米騒動のとき、内務省は暴動対策として、被差別部落民などを仮想敵とし、各市町村に、在郷軍人分会と青年会を中核とする自警組織をつくらせるよう、行政指導をおこなっている。…大震災時の自警団はその大規模な再版であり、治安当局の強力なバックアップを受けて成立したと考えることができる」(大江志乃夫『戒厳令』128)
報道ステーション、関東大震災の際、朝鮮人虐殺を行った側の子孫による証言と検証特集。
流言を信じて、血気盛んに朝鮮人を殺すのだという村人たち。犠牲者は東京から逃れてきてたまたま村に迷い混んだ24歳の朝鮮人。記録によると滅多刺しだった模様。
正力が新聞で朝鮮人のデマを回したのはしってたが、報知とほぼ同内容の国の電報は初めて知った…国、思い切り関与してる…
虐殺は自治会長によって詳細に記述された。現在。自警団を指揮した自治会長の子孫は、今も一人犠牲者の慰霊を続ける。ツイッターのころからXになったいままで、ネットには地震のたびに冗談という言い訳で「井戸に毒が」と投稿され続ける。
問題が今日まで続いていること、流言に政府が関与していたこと。それらを浮き彫りにしたよい特集だった
関東大震災の朝鮮人虐殺は、いまや官房長官まで公然と有耶無耶にしようとしている、寒心に堪えない状況です。確かに朝鮮人虐殺の実態には分からないことも少なくありませんが、それは「虐殺がなかった」ことにはなりません。細部が不明なことを以て全体を否定するのは、歴史修正主義の常套手段です。
ただ幸い、官房長官の妄言には批判も多く、また「福田村事件」を取り上げた映画も公開され、赤十字のAIごっこも取りやめになるなど、さすがにここまであからさまな歴史修正主義には、批判してくださる方も多くおられ、たいへん心強く思っている次第です。
批判の際に、2009年に内閣府によってまとめられた災害教訓の継承に関する専門調査会報告書のひとつ、『1923 関東大震災』の第2編が、はっきりと朝鮮人虐殺について述べている、と指摘される方も多くみられ、歴史研究が生かされていることは喜ばしいことだと思います。
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/index.html
一応ボカシつけとく
いまちょっと見失ったんだけどどっかの労組かなんかの左派系の団体が「朝鮮人虐殺を忘れない」みたいな提言をしていて、これでもう逆上する人がザラにいる。左派のアカがそう言ってるから侮辱だという解釈をされて歴史修正に走る。暴力を否定するというだけのことが政治性を帯びてきて、暴力のないところに誠意はない、むしろ暴力をチラつかさていないと舐められるという恐怖でおかしくなってしまう。池田信夫も前に憲法9条の平和主義のことを「少女趣味」だと言っていた。批判や議論と侮辱の区別がつかない。慰安婦と南京でずっと否認に執着するのも、そうしないと「舐められる」と信じているから。暴力そのものを批判されると「舐められた」と逆上するしかない人たち。私の育ってきた環境や受けてきた教育を思い出しても容易に想像がつく。別に関西の貧困地区とかではまったくない。
関東大震災時に朝鮮人をかくまった大川常吉鶴見警察署長のエピソードを強調したくなる気持ちはわからんでもないが、藤岡信勝・自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』(産経新聞ニュースサービス、1996年)にも「勇気と友情の物語」章に登場するのはなんでかなと考えたほうがいいのでは。「国民の物語」的美談として称揚されることで、官憲の煽動・誘導に端を発する自警団の朝鮮人・中国人虐殺が後景化されるなら本末転倒ではないか。
神奈川新聞の記事では「当時の日本人にとって、朝鮮人は植民地からやってきた「二等国民」だった。日本人と同等に扱うべき存在と考えることができたのは、少数だった。警察官が住民を守るという当たり前のことが美談としてたたえられる社会状況。その異常さにこそ、目を向けなければならないはずだ。大川署長は、その背後にある虐殺という歴史の暗部を照らし出す存在でもあるのだ。」と釘をさしている。https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-41781.html