「こういうことをしたい」をかなえるには下地がいるし、耕してない畑に種をばら撒いてもからすが食べちゃうだけ(使えるところを持っていかれるだけ)、わかっているのに、何回も嫌な思いをして、やりきれない夜を過ごしてきたのに、わたしは献身が使命のようなものだからやってしまう。やりたくない、ふわっと逃げたい。だけどわたしは跪き、項垂れ、受け入れてしまう──受胎告知のようにな!くそがよー。でもマリアさまはそんなこと言わない、で受け入れてしまう。子供の頃に、それもまだ幼稚園のうちに、そんなことを習ってしまうのは罪だよ、でもわたしは、そうでなかったらもっともっと早くに、みずから死んで、かえらなかっただろうとも思う。だからさーー!!わたしが今生きてるのを寿いでほしい。あらざることが起きているのだと、ひとひとりがここまで生き延びたのは本来なら奇跡なのだと──いやほんとに、そのうち一回は低体温すぎてまずかったという話なので……おおむかしなら奇跡なんです。だからわたしを搾取してはいけない。奇跡そのものが在るのだから。