こちらの記事では、証人として出廷した父親の弟さんが「父親は人の気持ちを考えられない性格で、長男の成績がよくないと頻繁に聞いていた」「強く当たっていたのではないか」と証言している。
臨床心理学の専門家からは、父親が学歴や職歴を偽って長男や周囲に伝えていたことについて「自身のコンプレックスを払拭するために、長男に厳しく高学歴を望んだ可能性がある」と指摘も出てる。
子どもを自己の拡張ツールと勘違いして、自身が達成できなかったことを子どもを通して達成しようとする父親の身勝手なリベンジマッチに長男が巻き込まれてしまった結果なのではないの、これ………
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230906-OYTNT50069/
自分は学歴もそうだけど「育ちが悪い」ことがとくにコンプレックスかな。こどもの頃に好きだった絵本の話をしてるひとを見るとほんとうに驚いちゃう…ああ、ふつうは絵本の一冊くらい家にあるものなのかって。
生活を保つのに手一杯だったから本や映画にお金を使えるようになったのもやっとここ数年で、だからそれがどんなに有名な作品でも知らないことが多い。そういう作品に触れてるとおもしろいと思うより先に、大勢のひとがあたりまえのように知ってるものを自分はまったく知らなかったのかという恥の気持ちが噴き出してきて落ち込む。
このへんのことはちゃんと向き合っておきたいけど、こうしてすこし文字にするだけでも劣等感と怨嗟で呼吸が浅くなるから、当分は慎重に距離を取りつつやっていくしかないのかも。
検察「普通の親。愛情をうまく伝えられなかっただけ」
裁判長「父親には長男への期待や愛情もあったはずで、伝わっていなかったことは残念」
裁判員「どこにでもあるような父と子の会話」
長男に殺意を抱かせるほどの虐待があったのに、第三者がそこに「愛情」なるものを見出せば父親の虐待行為が矮小化されてしまうの、本当にむごい。
親や親族の有害行動を「愛情の裏返し」と言い換えて、そこで起っている暴力や機能不全を暴力や機能不全だと認識できない/しないの恐ろしいよ。血縁関係が血の牢獄となった状態で生きてるひとたちにとって、あまりにも救いがない。