こういうのが無限に流れてきて、ひとつひとつに何かを言う気力がない。まるで去年の7月と同じ。
私は今日も神社へ行きますし、虐殺への抗議もします。
政治上の犯罪と惨禍の加害/被害/無関係の線引きを宗教で行わないで下さい。
植民地主義は宗教のみに起因するわけではありません。
https://twitter.com/jeremmie_moon/status/1720037520644395154?s=46&t=W6JFOp-IuiLQhD_im3POJQ
全ての国はもちろんLGBTQ+へのヘイトスピーチに対して対策すべきだが、それ他者から自分へのフォビアを減ずるために行うことではない。
全てのフォビアの原因は受ける側でなく行う側にある。
フォビアの原因を被差別側に求める物言いはやめてくれ。
非イスラム教国に、日本に、無神論者のコミュニティにLGBTQ+へのヘイトスピーチがないとでも言うのか?
高齢の監督の作品が優れていることを肯定的に評価する際に、「枯れてない」みたいな表現をするのって、直球のエイジズムかつ能力主義的で嫌な感じだなと前から思ってる。
年齢によって感じ方も、体力も様々な能力が変動するのだから、それに伴って作品の在り方が変わるなんて当然だし、何も悪いことではないのにね
若い才能がやたら肯定的に評価されるのも、複数の分野で才能を発揮する人が神聖視されるのも、一続きなのでは。才能とか、能力とか、年齢とか、そういう環境等の複合的な要素によってバラバラなものでそもそもそれ自体価値付ける必要のない個々を、ある型にあてはめて、直線的に評価しようとするから、社会がこんな体たらくなのでは
署名しました。
このオンライン署名に賛同をお願いします!「イスラエル・パレスチナでの「無差別攻撃の即時停止」と「医療の保護」、「人道性の回復を」/国境なき医師団」 https://chng.it/BKWCbbLM
https://chng.it/LwbS6TPPZ7
バイデン大統領(@JoeBiden)、ならびに各国首脳各位:あと何人の子どもが犠牲になれば、世界市民による停戦要請を支持するのでしょうか?私たち世界中の市民は、即時停戦と #ガザ 封鎖の解除を求めます。
#CeasefireNow
#Gaza
https://secure.avaaz.org/campaign/jp/call_for_sanity_loc/
“パレスチナとイスラエル双方の死者数は9,000人を超えました。ガザでは10分に1人の子どもが殺されています。
(略)
ガザ地区には200万人以上の人々が暮らしており、その約半分は18歳未満の子どもです。住民の大半は、封鎖により飲料水や食料や燃料にアクセスできない状態です。このような状態は国際法違反です。病院では、負傷した民間人が麻酔無しで手術を受けています。鎮痛剤の助けもなく怪我の処置をされ、痛みに泣き叫ぶ子どもたちの姿を想像できるでしょうか?
これはハマスに標的を絞った攻撃ではなく、ガザ市民に対する無差別な「集団的懲罰」です。”
署名に賛同しました
ガザ北部の難民キャンプに攻撃 保健当局者「100人死亡」報道 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20231101/k00/00m/030/004000c
俺、どっち向いても熊だらけなど田舎で育ったし、子供の頃から山入って遊ぶ時はナタとナイフ持って鈴つけて爆竹鳴らしながら遊んでたし、海外で熊が生息する地域に住んでた時も、この記事みたいに「予防」をしっかりやって人間側が接触を減らす努力をするのが当たり前だったから、ろくに調査もせず、理解しようとせず、対策も保護もせず、なんかあったらすぐに撃ち殺そうとするメンタリティには全く賛同できない。
知らないから怖い、怖いけど知ろうとしない、それで害獣だとか自分の都合でカテゴライズして排除しようとしてしまうことに疑問を抱かないのは危険だとも思う。
こういうことを書くと「襲われたらどうすんだ」って言ってくる輩が必ずいるんだけど、人を襲い始めたら「駆除」するしかなくなるからこそ、そうならないために何をしてるんですか?っていうpreventionの話なんで。
“Town of Banff urges residents to remove fruit, trees after The Boss comes to visit”
https://globalnews.ca/news/9996467/banff-fruit-trees-the-boss-bear/
食を含めた消費に関する倫理が日本ではあまり知られていないからか、反射的な拒否反応も目につくことがあるが、一方最近はSDGsの影響からか(これ自体有名無実化しているとか色々と問題含みではある)ヴィーガン食に関して取り組んでいる企業などを地元でも目にすることが増えてきている印象がある。ただし、例えば食に関してだと、日常的な会話で、食に関する嗜好はかなり不可侵のものとされている感覚があって、別に何を食べようと自由という前提自体にケチを付ける気はないが、それでもその食事や、消費の倫理を考えて、環境負荷が高かったり、動物性食品を減らすべきという議論なんかはもっと知られても良さそうに感じるのだけど、それをうまく伝えるのが難しいなと悩んでいる
いったいこの人はなにを考えているのか。自分が言いたいことをただ言いたいだけで、事象を読もうという意識が無さすぎ。だったら時事問題に口を出すべきではない。
「この非対称性が消えない限り、そう簡単に性も身体も自由に選べるという話にはならないだろう。」
って、そもそも誰もそんな話はしとらんだろ…
「しかし『他者が自分をどう見るか』まではコントロールできない。性別変更の問題は、煎じ詰めればそんな哲学的問題に通じている。」
通じてねぇよ。何でもかんでも哲学って言っときゃそれっぽく聞こえると思ったら大間違いだよ。何なんだよほんとに。これは人権の問題であり、生の問題であり、存在の問題であり、そこに国家や社会や他人が支配的に介入してよいのかどうかという政治的問題なのだよ。ええ加減にせぇ。あぁ書いてたらどんどん腹が立ってきたじゃないかまったくもう。
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。