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"「ほんとうの俺じゃなくて」と反省する花岡に、 「人は持っている顔はひとつじゃないから。たとえまわりに強いられていても、本心じゃなくて演じているだけで全部花岡さんなの」と言うのです。 ほんとの自分じゃないという自己弁護を批評しつつ、「でも花岡さんの思うほんとうの自分があるなら大切にしてね。そこに近づくようがんばってみなさいよ」と肯定もする。梅子がそれをできたのは、彼女自身がほんとの自分を隠して、寅子のいうところの「スンッ」として生きているからでしょう。 誰しも相手によって話すことも態度も変わるもので、それは相手の影響を受けた”自分”なのだという深い話で、演じているのも自分、という考え方、とても潔いと思います" cinema.ne.jp/article/detail/52

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