『新しき世界』の話(ストーリーに言及あり)
どなたかがちょっと前にMastodonに、この映画は兄貴とジャソンの「愛」の話だと書かれていた気がする。
「愛」と呼ぶかどうかはさておき、私もあのふたりの人間関係のドラマだと思って見ている。
兄貴はいうてもヤクザだ。愛嬌はあるけど必要とあらばえげつない暴力を振るう。
ジャソンとて本来ならそんなヤクザと関わらずにいられたのに、たぬきに駒にされたがばかりに出会ってしまった。あろうことか、情を交わしてしまった。
いつかは警官に戻るつもりだったとはいえ、あの地位まで這い上がるためにはおそらくジャソンも手を汚している。今でこそ部下にやらせているけど、それまでの道のりでは、ラストの「6年前」みたいなことを繰り返してきているだろう。
そして、たぬきにはおそらく何度も裏切られ続けている。たぶんすでに、心はだいぶ死にかけていたのではないかと思う。
その地獄の8年間で、おそらく妻よりも強く情を交わしあい、「ある種の」という前提付きではあるけど信頼関係で結ばれてしまったのがヤクザだという。それがジャソンの最も理不尽で最も不憫なところなのだと思う。
『新しき世界』の話(ストーリーに言及あり)
最後の6年前のシーンも「いい話」としての描写というよりは、その過程(起点に近いか)を描いたもので、会長?の椅子に座りもう戻れない地獄の道を進むことになってしまったジャソン、からの、たぬきとジャソンの出会いのシーン、からの6年前のチンピラ2人、車の迎えもなく、エロ映画を見ようといいながら、安いライターで火もつかないしょうもないチンピラの2人、このジャソンの破顔、にやられてしまうのだった。
……とはいえ、「ふたりの『愛』『情』が尊重されれば、他方で他者への暴力が許容されるのか」といえば決してそんなことはなく、自分(ジャソン)にはやさしいけど他にはなんぼでも暴力を振るう人間に(視聴者として)感情を寄せられるかいなというのは、それはそう。
特にその対象が、女性、子供、動物であるときは。
結局私はとことん私は消費者なのだな……決して自分には関わらない世界の話としてのノワールを、人間関係の物語を消費しているのだなと思った。
私は何度観てもあのラストは(じゃん子さんがいうところの)「人の心に永遠に消えない傷をつける最高のラスト」と思うと思うけど、私も皆さんの「はあ?」をおもしろく(といったら何だけど)読んだ!
『新しき世界』と『NOPE』の話(ストーリーに言及あり)
個人的に『NOPE』でよかったことのひとつは、全部ではないのかもだけど馬が助かるところで、あれが「人間は助かったけど馬は……」だったらやっぱり視聴後の感想は全然変わってたと思う。
チンパンジーのシーンはやっぱりすごくいやだし。