『ヒトラーのための虐殺会議』観た
ユダヤ人問題の"最終解決"の合意形成のための高官会議。会議が始まり終わるのみ、淡々と穏やかに進むだけの映画なのだが、この穏やかさこそが恐ろしい歴史的事実を浮かび上がらせるようで、私はかなり真剣に見入った。音楽もなし。
事務方は"処理”に難色の及び腰、現場方は迅速即決の強硬姿勢と違いが見られるものの、その中身は権限配分の争いでしかなく、この倫理が欠如した議題、非道な行いも日常化して扱えてしまう人間の愚かさを改めて考えることに。
混血や外国籍ユダヤ人の扱いや"処理"方法の倫理を問題にする「反対意見」もみられるのだが、結局法や規則の安定と断種という"理がある"代案や「ドイツ人の」倫理が保たれる方法なら可という、ひどい合意に落ち着くのも見ていて苦い思いをした。
結局、優生思想と民族浄化の総統と集団の"正しい"思想ありきの会議なので、参加者はその前提から出るはずもないのが端々から見て取れる。中には殊更に思想を主張する者もいて「反対意見」がまともに感じられる程。正しさの元では人間は冷静に非道になれるのを見せつけられる。
そして、大小の異議があっても効率・功利を持ち出されると皆途端に引き下がる、「効率」の大正義が恐ろしかった。
参加者は仕事としてやってる訳だから、淡々と進むだろうなとはわかっていても、会話のひとつひとつが最低だな…と思いながら観る。やはり一番ひどいなと思ったのは、断種に落ち着く話のところで。一見、法令の重要さを主張して公正につとめ、親衛隊側の実力行使ありきに歯止めをかけるように話が進んでいるのに、結果が最悪の合理性を発揮しているし、実は重視されてるのは法令自体でない告白もあるしで、げんなりした。断種を提案しつつ妻がおめでたで…とか言ってるんだから、全く人間の扱いをしていないおぞましさ。むしろだから思いついたのかと言いたいほどだ。
各部署を代表している参加者は、会議の達成目標も各々違っていたり、譲れない部分も違ったり(現場方が自分達は精神的に軟弱じゃないとこだわった上にいなされてたのは滑稽だった)、そのために開始前後や休憩中に政治をしているのが、リアリティだなぁ…とも思って観ていた。会議散開後に「これからどうするの?飲みに行く?別の会議?タフだね〜」なんてやるんだから。圧倒的日常、その軽さ。あんな内容の合意形成しておいて。最低最悪のお仕事映画だろうね。