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日本政府:財務省は未だに「国家財政を家計簿にたとえたら」を捨てていない
こんな愚かしい話を糾弾できる程度にはなってほしい、これは自分の揺るがぬ思いである

もっとも、日本国民はマスコミに踊らされやすいという欠点がある
すなわち、マスコミの意図した通りに物事が動く可能性が高い
なので、言い古された言葉だが、メディアリテラシーを育てるしかないのであろう

結論について補足するならば
日本国民に対する信用で成立する日本円は、政治家の小手先でどうこうできるほど甘いものではないだろう、しかし「それでもなんとかする」のが政治家のお仕事だろう、と

一応、一連の話について結論を言おう 

酔っ払いの戯れ言だw

日本政府が、正しく日本国民の代行者であるならば、日本円の制御不全になどなりようがなかろうな…
かといって、適切な処方箋を出せるほど自分は頭がよくない

しかしこれは、非情に奇妙な話なのだ
本来、日本円に対する絶大な力を持つ日本政府や日本銀行が、日本円に対する制御力を持っていない可能性がある、という話なのだから…その実例が、アベノミクス失敗ではなかろうか?

今まで書いたことの贅肉を削り、端的に言うならば
「日本円という貨幣の強さは、日本政府に依存しない可能性が高い」

皇室に権力を委ねることは、時代には逆行するし、おそらく支持も得られない

権威と権力をここまで分離したことの是非はもはや問題ではない
その結果を踏まえて、どうすべきか、という話をしなければならない

すなわち「日本における信用経済」とは「皇室と国民、そして代行者たる日本政府により成立する信用」によるものと言い換えられよう

ここまで権威と権力を分離した国は、自分には心当たりが無い
すなわち、後にも先にも「学ぶ」相手が事実上存在しない、ということを意味する

今までの話をまとめるならば
「バブル的経済発展しか望めない日本において、天皇という権威の名の下に国民は働き、その実務として日本政府がある」といえるだろう

ここまでくると、日本円の強さとは「日本政府と国民の強さ」より「天皇と日本国民の強さ」と言う方が妥当ではないかと思われる

日本の強みは、皮肉にも批判した日本共産党の分析する「天皇と政治の権威と権力の分離」なのは、もはや疑う余地もなかろう

日本において国家のトップは、外交的な面を除外すれば「天皇」ここへの国民の信用は、天皇制廃止を共産党が保留するほどに強い
しかし日本政府のトップは、改めて言うまでも無く「政治家」
そして、日本人の「支持政党なし」率を考慮すれば、日本政府への国民の信用は高いとは言えない

「国民が国家を信用してるか?」という問いを立てるなら、これは日本はとても強い
ただ「国民が政府を信用しているか?」という問いを立てるなら、これはあまりに脆弱だ

「国家とその国民の信用」という見方をするならば、政府の信用で貨幣の価値が成立するというMMT理論は不十分、不完全な可能性がある

「国家とその国民」の信用が、貨幣の信用を裏付けている…?

国家が信用される、というのは、その政府が信用されることとは、必ずしも一致しないのではなかろうか

その保証に対する信用は、国家に対する信用と同義、といえるかもしれない

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