マイノリティの権利の話を「難しい話」とか「難しい問題」で終わらせたくない人たちのためのZINEをつくろうか〜って思ってます!
動くのは来年かな〜と思うので、ゆるっと参加希望者を募集します!
(人数が集まらなかったらできないなあと思っているので、やってみたいかも!って人は参加希望して欲しいです!(結果不参加でも大丈夫なので!))
昨夜は町の防災研修会に参加した(動員された)。
講師が、平日の夜7時からだと言うのにこれだけの人が集るんですね、と褒めていた。
役場の担当課長は冒頭の挨拶で「防災には自助・共助が重要」と言うし、講師も「いざとなったときに国はほとんど当てになりません」と言うし、毎度の事ながら、「公助はどこに行った?」と、いらいらする。
講師の話自体は面白かったのですよ。経験知に基づいた具体的な提案が多くて参考になった。
災害発生時の復旧において誰が現場を取り仕切るのかということは、重要だなと思った。外部の(被災していない地域からの)専門知識を持った集団が入らないとダメだ。当該自治体の職員は、素人だし、しかも自身が被災者なんだから、出来る訳が無いと考えるべきでしょう。特に、ボランティアの受入れ・差配を被災地の社協(社会福祉協議会)にやらせるというのは本当に愚策だと思う。
作成したバナナブレッドを圧縮して格納しました。
下記のURLよりDLしてください。
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/19993_バナナブレッド.html
ご確認のほど、よろしくお願い致します。
安倍公房はいつか読みたい……! ていうか神奈川近代文学館に行こうかな行けるかな
松竹のYouTubeで昨日まで無料公開されていた砂の器をギリギリで昨夜見ました。ゆったりした時間の流れ方だったり、やや女の命が軽い部分だったり、謎が明らかになる過程だったり、今だったらこうはならないだろうな〜と思うところはあったけれど見応えあってよかったです。長いけど、ゆっくり見る意味はあった。
ちょうど話の流れだから便乗すると、たぶんこのマスカット・オブ・アレキサンドリア雪見だいふくでワインは飲めます。辛めの白で合わせるのもいいし、渋めの赤もいいと思う。
“ 戦後まもなく、アメリカで開発されたプロミンという薬が日本でも使われるようになり、ハンセン病は治る病気になります。それをうけて、療養所の入所者たちは強制隔離の廃止を国に要求しますが、1953(昭和28)年、新たに「らい予防法」という法律が成立し強制隔離は続けられます。
海外ではプロミンの登場とその後の化学療法の確立により隔離政策の廃止が加速していきますが、日本では1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されるまで強制隔離が続きました。ハンセン病が治る病気になってからも、半世紀にわたって強制隔離が続けられたことになります。その間、「らい予防法」には退所規定がなかったので、多くの人が治った後も故郷や家族のもとに帰ることができず、療養所で亡くなっていきました。”
https://www.nhdm.jp/about/issue/
昨日、神奈川近代文学館で開催中の安部公房展に行ってきました①(内容に触れます)
まず最初に列挙された各国に翻訳された本の数々が圧巻。
生い立ちから晩年までをエリアごとに順に追っていく内容となっていて、主要な小説はもちろん、戯曲や映画、生前未発表の作品とワープロの原稿も含め、夥しい推敲がされていて思考の痕跡が辿れ、さらに著名な作家などとの私信も展示。
川端康成からの手紙もあり、毛筆にくずし文字、巻物だったのでびっくり…。
ドナルド・キーンが作品を英訳したときに疑問点を安部公房が回答したものは写真撮りたかった…!
初期は創作の原点ともなった戦後の過酷な引き揚げの影響等で困窮していたのもあり、原稿だけでなくノートに殴り書きされていたのが、段々状況が改善されるにつれ読みやすくなっていったのが印象的。
他にも、玄人はだしだった写真や愛用のカメラ、愛好していた車の変遷、「密会」創作時にインスピレーション湧かせるため使用したらしい私物の盗聴器、晩年に導入したワープロに私物のEMSやKORGといったシンセ、未完の小説「飛ぶ男」フロッピーなど初展示。
神奈川から東京をあちこち14年
(最後に住んだのは中野坂上)
2006年に帰郷し現在は仙台住み
描いたり作ったりが好きです
(イラスト・張子・短歌・写真など)
有意義なことは述べません
極端なお風呂ギライ
最近の抱負:ジャッジしない