ってこの辺のことを考え出すと
さかなクンのいじめについての話を思い出す
「分断を生む」とそれが問題かのように為政者側がしれっというけれども、我々下々はすでに為政者にとって都合のいいように分断されている
分断を生むと言いながら、連帯されることを為政者は嫌っていると思うんですよ
こちらから進んで見ようとしなければ隣人の顔も見えないし、その苦痛を知ることも補う事も出来ない、見ようとすることについてすら物言いがつく世界に私たちは生きている
世代ひとつとっても、スライスされているというか、社会の見え方、社会に対する構えがだいぶ違っていて、違いを認めながら相互に理解しあう事も難しかったりする
SNSがそれを埋めれるか、という事に私は関心があって、そういう関係の本を読んでみようかと思っています
私がイメージする差別する人というのはネット上で差別発言をまき散らしている人じゃ無くて、日常レベルで「中国人怖い」とか「精神障害者は暴れる」とか「貧乏人は汚い」とか「同性愛者はキモチワルイ」とか、ちょっとしたときに悪気もなく発言する人
ネット上で差別発言まき散らしてるやつって、そういう「無辜の一般人」の代表者のつもりでいると思ってる
だから、おめーは代表じゃなくて単なるひとりの差別者だよと指摘するわけだけれど、マジョリティでいることの何が悪いって開き直ってるやつらは、ある意味無敵で、だからこそ頭を悩ませてしまうだよ