実は、私も妹も、農業を継ぐことは厭ではありませんでした。
むしろ希望していた。
父の世代がやっていたように、兼業で二足の草鞋を履きながらなんとか農地を維持していけるのではないかと20年前には希望を持っていました。
でも、もう父がやっていた昭和から平成初めごろのスタイルでの農業は不可能になっている。
その間、専業農家と言われた人たちは、商品価値の高い作物を人手や石油燃料を使って作ることで農地を維持してきましたが、会社経営に近い形での営農も継続しがたくなっているように見えます。
生業として食べていける農業にはコストがかかりすぎるのです。
一般の会社を起業し経営するより難しいと思う。
今、母は100年以上経った旧い土蔵を解体しようとしている。
私と父は温存したかったのだが、聞き入れてはもらえない。
お金を母が握っているからだ。
母がいなくならないことには農業もをどうするかも土地をどうするかも何も考えることが出来ないだろう。
老朽化し維持できない汚らしい古いものは壊す、という考え方よりも、何とか直して維持していくという考え方の方が私にはしっくりくる。
思想が違う。
どんどん壊して更地にして、あとにはぺんぺん草も生えないようにするという考え方には、私は組しない。
感情論かもしれないが、合理主義のふりをした何かには抗いたい。