今、母は100年以上経った旧い土蔵を解体しようとしている。
私と父は温存したかったのだが、聞き入れてはもらえない。
お金を母が握っているからだ。
母がいなくならないことには農業もをどうするかも土地をどうするかも何も考えることが出来ないだろう。
老朽化し維持できない汚らしい古いものは壊す、という考え方よりも、何とか直して維持していくという考え方の方が私にはしっくりくる。
思想が違う。
どんどん壊して更地にして、あとにはぺんぺん草も生えないようにするという考え方には、私は組しない。
感情論かもしれないが、合理主義のふりをした何かには抗いたい。
私は2006年に宮城の実家に帰ったのですが、その年は妹夫婦も手伝いにきて田植えやったんです。
それが我が家の最後の米作でした。
米作が出来なくなったのには家庭の事情なども含め様々な要因があります。
父は今でも農業を少しでもやりたいようなのですが。
今は実家も米を買って食べています。