https://www.asahi.com/articles/ASSC10TD8SC1UTIL017M.html
“ロシアが戦争に向かうまでの経緯は、戦争する国がそれ以前に何をするのかを見るお手本の山です。ロシアが最初に行ったことは、テレビ局の幹部の総入れ替えでした。その後新聞など他のメディアに広がり、報道、言論規制がどんどん厳しくなっていきました。
政府方針に抵抗する人が既存メディアから消えると、国の宣伝ばかりになります。それに飽き飽きした人たちは、既存メディアから退いた人たちが立ち上げたネットなど新たなメディアに集まります。ある種、抵抗する人たちが1カ所に集まり、政府がマークしやすくなる。17年ごろからはメディアの他、様々な団体がマークされるようになり、21年には個人のSNSやユーチューバーまで弾圧の対象になりました。
22年のウクライナへの侵攻直前には、ロシアの人権擁護団体すら弾圧されました。抵抗する人たちの言葉を封じ込め、「国の方針に文句があるならロシアから出て行け」という言葉が平然と言われるようになっていました。私の知人の作家でも、実際にロシアを出て行かざるを得なくなった人がたくさんいます”