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きょうは弟やその友人たちとMtGをして遊んだ。いやー面白かった。

大学時代の友人3人がやってるVTuber配信を見ている。リスナーに「近況は?」と尋ねると、コメント欄でスピノザが「最近は『エチカ』を上梓しました」と言っていて爆笑した

カッコつきで書く「定型発達」でも、「ふつうの成長」でもいいんだけど、自分はいま児童期から青年期までのあいだに失ったことやできなかったことを、いろいろやり直してる感じがするな

じぶんの場合、自己啓発に対して回避が働くのは、現在の自分の世界の見方や解釈の仕方、物語etcを保持しておきたいからなんだと思う。そして自己啓発的なものや物語の与え方が楽観的すぎるとか、客観的でないとかという批判を加えようとする。実際それはそうなんだが、そのせいでむちゃくちゃ生きづらくなってたらどうしようもなくないか。

別に我慢することや辛いことをやらないことがえらいわけじゃないんだけど、それ自体が価値になると危険。

我慢して辛いことをしているとえらい、という思考回路は素朴におかしい。んなわけあるか。

長いこと自己啓発とかこういう精神分析めいた作業をバカにしてたというか、メタ的にフンッって思ってたけど、必要なんだな。

グリーフワークやってたらふつうに泣いてしまった。あんな駄目になってしまったとしても、幼少期から父親のことほんとに好きだったんだなー。じぶんはそれを封印していたし、調停もつけられなかったんだろう

明日からはポモドーロ数に基づいて仕事するぞ〜

今も元気に教員をやっているらしい。よかった。

未だにいじめられていた経験は夢に見る。12年続いたらそりゃあね。小5と6のときの滝沢先生が実質的な"父親"としてパワフルだったおかげで助かった

歳を取ってきて、どういうわけか「仕事はまあテキトーでよく、他人を適当に働かせておこう」「自分は趣味や楽しいことをしていればいいや」という思考になれなくなってきた。なんでかはわからん。だんだんマジにならないといけないという気持ちが強まってきた。

ゲームと小説とインターネットがあったから中学の時に死ななくて済んだ。

だからわたしはフィクションの世界に逃げ込んで、分厚い壁を作って生き延びてきたわけだけど。

後者については人はいろいろなかたちで「あっ、わたしはこのままだと受け入れられないんだ」と経験・学習し変化ないし成長するのが当たり前だと思うのだが、それが「何をやっても無駄だ」と思うようになるとつらい。

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