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「二人称で」「滅びゆく誰かが、あなた=読者に何かを託す」形態はかなり強固で、ついでにそれが「書くこと」とか「創造すること」に結びついていると、「デッキ構築型ローグライト」とか「ソウルライク」とか「JRPG」みたいなソリッドさが出てくる。文体がグズグズでもなんかエモくなっちゃう。
テッド・チャンは少なくとも3回、『息吹』『商人と錬金術師の門』『大いなる沈黙』でこれをやっているんだが、自分が真似しようとするとまあ文章が下手なこと下手なこと。かぐやSFのあれもちょっとぼんやりしてて、形態の強さでゴリ押ししてたところはある。ベケットの『伴侶』とかもそうね。

浅倉透構文、確かに謎のエモが出るのでウケる

先週、梅島を妻とぶらぶら歩いていたのだけれど、雰囲気がえらく地元に似ていて、ああ足立区や練馬区の空気は地方都市のそれなのか、と思った。土や草が多いから甘い匂いやゲオスミンの香りがするところまで似てる

これただの思いつきなんだけど、人間ってリアルタイムで体表面にQRコードを生成して、超圧縮して会話できるようにならんのかな。いや、でもこれって「顔が赤くなる」「青ざめる」みたいなレベルではできてるのか。精緻にできないだけで。タコやイカの高度なバージョンがあったらいいな

情報発信と作家業、並行するなら私の主戦場はやっぱりテクノロジー×エンタメ×カルチャー×世界の見立て(物語化とある種の陰謀論)になるんだろうなという予感がする

昔ドワンゴがフリーゲームでやろうとしていたし、現在はスマホ向けのゲームがその役割を担ってるけど、運用型のゲームタイトルって用は連載だもんな。

おれもしかしてデジタルゲーム自体にはあんまり興味なくて、その時代において支配的なメディアの変遷に興味があるだけなんじゃね?

人間に埋め込まれた回路としての架空の人物=死者=生きている他人の錯誤回路とミラーニューロンの錯誤、アポフェニア、聖人伝や殉教者列伝の強固さを超えられる気がしねえ

「のんびり楽をして生きていきたい」、つまり低ストレスで生きていきたいというのはわかる。しかし、実際にそれができたら、次に何かしたくなるんだろうか?

今の自分の欲求を正直に言うと、「のんびり、楽をして生きていきたい」で。「表現をしたい」「作品を作りたい」とかじゃない、もっと根源的な「ストレスなく生きたい」みたいな欲求っぽい。そのうえで誰かから何かで認められたいという気持ちはある。

ちゃんとイオリの足を舐めていてよかった。しかし、これはもはやしゃぶっているのでは……?

世界に対する償還を求めているうちは何をやっても駄目。

テアトラの服をあと1サイズ縮めたら最高になれるんだが、今使ってるのが最小サイズなんだよなー。。

んで、「背が低い男性向けのブランド」として大々的に宣伝されている服を買うのは「それは敗者/弱者の選択肢だからやりたくない」「ダサい」というトキシックな男性性が顔を覗かせるわけで。

「肩幅の都合でレディースは着れない」「身長が低い弾性がでかい服を着ると、"着られている"感が強く出るので合わない」という制約が出ると、着れるものがない。ユニクロですら合わないケースが多く、すると「やっても無駄」という徒労感だけが学習されて、服や外見のメンテを諦める方向に傾く。

服屋に行くと、体育の授業で運動ができないのにずっとみんなの前で晒し者にされているのと似た感じの嫌さがあって、冷や汗が出る。

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