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なぜ自分に対しては「フン、雑魚め……」と言ってよいって考えてるんだろうな。それに耐えられるだけ特別性があるとまだ信じているのかもしれないが、仮にそれがあったとしても「耐えることがその特別性を強化する」わけではないだろう。

「自分をいつくしむ」については、これを考えるたびに未だに「フン、雑魚め……」という感じが抜けないのだが、これが恒常化して「耐えることがえらい」「我慢することが価値」になってるのはおかしい。それがえらかったり価値になったりすることはあるが、常ではない。

- 生活習慣の安定
- 仕事の出力の安定
- 心の安定
- チャレンジすることや失敗することへの恐れや不安を小さくしていく
- 自分をいつくしむ(いつくしむ!)

クライアントに提出している資料やレポートを読むと、ちゃんとここ2~3年で成長しているのがわかる。2023→2024は強い成長を感じられないかもしれない(多分いい感じに伸びたけど、ここからは一歩一歩が長い)

こういうとき「〜べき」とか「必要がある」とか言っちゃう・書いちゃう癖は抜けない笑

労働がキツくてうつになるのではなく、自分で自分のことをうつにしていく(そういう思考の癖や行動の癖が染み付いている)ので、そのへんをちょっとずつ解除していきたい。バランスよく。

リビングにPCとスマホをまとめておいて、自分の部屋で水を飲んだりしながら本を読む、SNSを見ない、というだけで気がラクになってくるな。

世界全体が人間(というか、それは多分俺なんだけど)をネグレクトしている……と考えると安心する傾向はありそうだ。そうすれば、すべてに対して不安にならなくて済む。

マッカーシーとか読んでても思うけど、俺は「この世界は残酷で人間に無慈悲だしそもそも無関心なんだよ」って言われると喜んじゃうんだよね、親の流した血で遊ぶ赤子みたいな

いまは勝ち負けや序列、他者の評価を意識すいがちなゲームより、無心に何かをするだけのことをやりたいな。誰とも比較しない、自分ができるようになったことだけを評価する、みたいなやつ。

きょうは弟やその友人たちとMtGをして遊んだ。いやー面白かった。

大学時代の友人3人がやってるVTuber配信を見ている。リスナーに「近況は?」と尋ねると、コメント欄でスピノザが「最近は『エチカ』を上梓しました」と言っていて爆笑した

カッコつきで書く「定型発達」でも、「ふつうの成長」でもいいんだけど、自分はいま児童期から青年期までのあいだに失ったことやできなかったことを、いろいろやり直してる感じがするな

じぶんの場合、自己啓発に対して回避が働くのは、現在の自分の世界の見方や解釈の仕方、物語etcを保持しておきたいからなんだと思う。そして自己啓発的なものや物語の与え方が楽観的すぎるとか、客観的でないとかという批判を加えようとする。実際それはそうなんだが、そのせいでむちゃくちゃ生きづらくなってたらどうしようもなくないか。

別に我慢することや辛いことをやらないことがえらいわけじゃないんだけど、それ自体が価値になると危険。

我慢して辛いことをしているとえらい、という思考回路は素朴におかしい。んなわけあるか。

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