@ttt_cellule ゲームだと報酬を作ることで外部に価値体系を作ったり、視覚/聴覚的演出により人間の持つ脆弱性や認知パターンを刺激することで、労働それ自体を目的化してしまうかのような状況が発生する(それはもう労働なのか微妙だけど)、という筋立てですか? で、それが制作の喜びみたいなものに接続されるというか。
@ttt_cellule ひとまず『人形論』ポチりました。『動物に魂はあるのか』とか『ゴーレムの生命論』の人だったんだ……。
@ttt_cellule どうにかして長編小説にしよう……。
@ttt_cellule ああ、そのうえで、これを後期ハイデガー的な惑星的総駆り立て体制としてのテクノロジーという考え方として合体させると、途端に世界すべてがヤバいものに見えてくる(未来のために未然の命を奪いまるファシズムを見いだせる)、っていう話なのか。だいぶ整理されました。でもこれ発想がヤバすぎる気がする……。
@ttt_cellule そうすると、人間に労働するたびに生殖のことを考えさせるようなロジックや感性の回路を作ればいいのかもしれない……かしら。労働と制作行為が分割できないとしたら、一体化したそれそのものが生殖になるって考えるかもしれません。
@ttt_cellule 作品と自分の分離をするかしないか、という観点だと、ここでは作品を自分の分身、Body-Double的なものと見做している世界観があるがゆえに成立している話ですね。作品自体が作者と関係なしに世界に埋め込まれているものを彫り出してるだけなら関係なくなる。
で、これが原爆とかヤバい科学法則とかだと、オッペンハイマーあたりは「いや、これさすがにヤバくね……?」的な、圧倒的な現実にぶっ飛ばされたわけですね。しかし、創作とか創造だとそれが両手を挙げて歓迎されているように見えるのが変じゃん、っていう筋立てだと。
@ttt_cellule なんというか、自分の中ではある種の指導教官だと思うことにしています。私はアカデミズムには一切いたことがないけれど。
@ttt_cellule これは全然関係ないんですが——ずっと前からある疑問として、tttさんがなんで私にいろいろ話してくれるかが自分で分かってないんです。ものすごくありがたいことだし面白いし自分では知りえない範囲や射程の話だらけなので助かっているんですが、なぜなのかは分かっていない。いや、ここで「なぜ」に飛びつくのが駄目なのかw
@ttt_cellule どっちかって言うとこれはフィクション論やキャラクター論の射程より、キリスト教とか存在論の射程なのかもしれません、などと思うなどしました。
@ttt_cellule うーん、でもこれはシンプルに聖人伝を裏返したもの、つまり存在の可能性みたいなものを神格化するはたらきだと言えてしまうのか。。
@ttt_cellule 自分が書いた最後のやつは、千葉雅也的な(?)「創造は性欲の代償行為」というか、そのエネルギーが創造に向かう、という考え方があるとして、そのときに「創作や文明を発展させる行為は、性欲を消費させて未然の殺人を行っていることになるのではないか(生殖を行わないことで未来への投資をしている)という倫理的ジレンマ」について今考えているんですが、これは人間が持っている生得的機能から生じたアポフェニアで、しかしそこに生まれざるものたちの存在を見出してしまう、ってことと変わらないよな、とか思うし……。
@ttt_cellule んで、キャラクターの話のところもたしかにそうで、僕もあれは特別な回路というより死んだ人間や生まれなかった人間みたいなものに対する回路を同様に駆動しているだけだ、と思います。
そうすると対人のモチーフとまったく変わらなくなってくる。単に表現というか表象としての形態がちょっと違うだけで根本的なところは一緒。だとしたら「生まれなかった子ども」が「キャラクター」の論点とつながっているというよりそれはもう同一のもので、という形になると、別に独自性があるわけではなくてレイチェル・カーソンとかに似てきちゃう
@ttt_cellule うーん、確かに正論です。「フィクション」という言葉が飲み込んじゃう、覆い隠しちゃう射程がデカすぎるというか、もっと細かく踏み込んでいかないと誤認逮捕みたいなことが起きる。全部はまだ読み切れてない/理解しきれていないんですが、そこをまず自分の中でブレイクダウンしないと駄目そう。「お前のフィクションとは何か」ということ。
情報輸入業と宗教法人とものかき。だいたいは思考的な未検閲状態で、思いつきを書いています。