新しいものを表示

ダグラス・ラシュコフの言うことはもっともではあるのだがむずい

20連でミノリ→ヒマリと来たのでマッハで終了した。流石にツキすぎ。

"We are not the customers of Facebook, we are the product."という言葉は確か2012年だったはずだが、今この言葉を見てもあまり衝撃がない。だから何、という。

ストール・カーディガン・コート・アクセサリの組み合わせがオシャレすぎる。こういうの憧れるわ。
わたしが全身真っ黒〜ネイビーで固めてリュックしょってる状態で隣歩いてたら対比がすごそうw

Yostar歴では12月も夏だとされている。(アズールレーンで見た。

むしろ「俺こそが商品だ」と誇らしく言い張っていくスタイル。

そうなると「商品として働いているのにPayが行われないとは何事か」という言い分は成立するだろうか。そしてゲームに参加することそのものがPay(Redemptionという方が私は好みだけれど)なのだとしたら、それは「同意の元で行われるやりがい搾取」とほとんど同じ構造なんじゃないか。しかし、それなしでカルチャーやエンタメが成立したことあるか? と言われると……たぶんない……。

基本無料でPlay to Winのゲームは、多くのSNSと同じように、「あなた=プレイヤーこそが真の商品である」というカテゴリに入る。のだが、現代において「商品を買う」という行為と「商品になる」という行為がほとんど裏表であることを考えると、「積極的に商品になること」はもはや奴隷の鎖自慢ですらない。

こういう感じのカッコ良さを出せないので羨ましい〜

それは楽しいことでもあり嫌なことでもある。全部うるさくなるし。

あ、そうか。ほんとうの意味であらゆるものがIPとして売れる世界になってきているんだな。

このタイプのパズルめいたゲームをやりたくない理由は「スキル回しとかタイムライン組むのが面倒」ということに尽きる……。

クロカゲINS1凸、かなりギリギリのTL作らないといけないっぽくて厳しい。

「文芸作品をコンピュータで動くシミュレーションとしてつくるとしたら、なにをどうすればよいだろうか。作品をゲームクリエーターの目、プログラマーの目で眺める。構造やメカニクスに焦点を当てる技術を駆使し、文学をエコロジーとして見る。作品世界を探検するための地図を持とう。」
honto.jp/netstore/pd-book_3283

あるシーンに対して「絶対にこうなる/こうするしかない」と強く確信させられる回路を人間の中に[構成、教育、析出、レンダリング、焼きつけetc]できるか、という質問は、[宗教、呪い、学び、熱狂、没入etc]を構成するための話なのだけれど、要はそのために情報をどれだけ丁寧に配置できるかという話でしかない気がしている

デスストの「抱きしめる」は確かにもうそれしかないことは分かっているんだけど、唐突なんだよな。サムが作品通してそのアクションを取ったことがないでしょう(設定を考えると、だからこそすごいシーンだとも言えたりするのだが)。

ティアーズオブザキングダムはチュートリアルの冒頭、鳥望台、空島・地底への移行プロセス、多くの人にとって初めてのボスになるであろうフリザゲイラ戦、ラスボス前への移動、ラスボス第2形態戦、そしてラストシーン、すべてが一貫して「上って落ちる」という動きとアクションに統一されているのが本当に美しい

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。