もしこれがヒズボラがイスラエル国内で行っていたことだったら、爆撃機がすっ飛んで行って女子供も皆殺しされ、スピルバーグが「この日のことは忘れない。俺はこのことを映画にする」とか言い出すのに、その主体がイスラエルだと何のおとがめもない。何がテロであるか欧米が恣意的に決め、テロ認定されると皆殺しにされる世界に俺たちは住んでる。
ヒズボラのポケベル一斉爆発、イスラエル首相が承認=報道官
https://jp.reuters.com/world/security/QGYZQPAVEFKNDPIKFMHHH6CYXA-2024-11-11/
“その点、共産党とは組まない、中道を標榜する、政権交代ばっかり言わない、というあたりをポーズだけでも取っているというのが、国民民主はまだ評価できるポイントだったのよ。”
馬鹿だなあ。
(追記)ワイ国民民主党支持者、つらい https://anond.hatelabo.jp/20241112182240
「現実主義者ってのは無能な奴が被る化けの皮だ」と思ってるワイには、さっぱり判らんのですが、何故、「判り易い現実主義者のごとく振る舞ってる人物」が有能だと勘違いされたのですか?
https://anond.hatelabo.jp/20241112182240
あと、名古屋高裁がシーテック社事件で下した判決がめっちゃよい、ってことも教えてもらった!
「判決文なのに、ストーリーやドラマがあって面白い、ぜひ全文読んで」と。
https://www.asahi.com/articles/ASS9D23WZS9DOIPE009M.html
シーテック社で風力発電の計画がおこったときに、予定地の住民が勉強会を企画。
たったそれだけで公安が該当市民の監視活動を行い、
その情報を会社に流した、という事件。
今日紹介されたところだけでも、
(市民活動は)「極めて正当な行為」
シーテック社の行為こそ「地域を分断させ、地区単位の村八分を目論むものとして、違法である可能性が高い」
など、赤べこになっちゃいそうな文章!
コミュニケーションについてぐだぐだ考える
コミュニケーションで大事なのって、おそらく「お互いに」「相手を尊重する」ことを忘れずにいることだと思うのだけど、ひとにはそれぞれ譲れないものや妥協できないものがあるわけで。
自分も相手も尊重しながら進めていけたらいちばんいいと思うのだけれど、それぞれの譲れない部分が対立してしまったときにそうするのってなかなか難しいよな…。
そういうときに落としどころというか、自分もちゃんと守りつつ相手も尊重することができるひとがコミュニケーション上手なのかなって思うけど、それも行き過ぎるとなんか『無』って感じもしちゃうし…。心地よいばかりがコミュニケーションではないだろうし。。。
難しいな……
交流ってちゃんとやろうとするとすごく高度なことだよなって思う。
自分はコミュニケーションが好きだけど上手くはないのでときどき色々考えるけど、いざコミュニケーションしているときになると気をつけねばって思ってたこと全部飛んじゃってたりして失敗することも多々。
失敗しちゃってもなおコミュニケーションをとってくれてる周りのひとがとてもありがたい…。
甘えずに精進せねばだな…。
わたしが新型コロナワクチン2回目にてワクチン後遺症と思われる症状に悩まされて3年あまりが経ちましたが、ようやくTV地上波で(地方ながら)報道がありました。NHK福岡局(約25分)とMBS(約14分)です。
(画像はMBSよんチャンTVより抜粋)
以下の文章は、
「新型コロナワクチン後遺症患者の会」
の 「おしらせ(2024年11月10日号)」メールより抜粋。
① NHK福岡局 「The Life」
11月1日放送『ルポ コロナワクチンと健康被害』
NHK福岡局が放送したワクチン後遺症に関する番組です。
患者の会の会員の方が取材を受けてご出演されています。
○動画はこちらから
https://odysee.com/@Channel_Calando:5/Nhk241101:a
○ご意見はこちらから
(NHK福岡放送局)
https://www.nhk.or.jp/fukuoka/contact/
② MBS よんちゃんTV
11月6日放送『特命取材班スクープ』
こちらも先日放送されたワクチン後遺症についての番組です。
患者の会の倉田さんともうお一人の会員の方が取材を受けておられます!
○番組はこちらから
https://www.mbs.jp/4chantv/news/scoop/article/2024/11/103826.shtml
○応援メッセージはこちらから
(MBS放送局)
我が生涯で一番幸せな一年でした。
(基本、不幸がデフォルトなのですが、この一年はずっと楽しかったです)
わたしは音楽をあまり聴かない人なので、この一年で添翼さんの歌を聴いていた時間を合計すると、これまでの生涯で音楽を聴いた総時間より長いだろうと思います。
こんなに音楽と一緒に生きる人になるとは、自分にビックリします。
でもわたしは、「音楽が好きになった」わけではないかもしれません。添翼さんの歌だけをずっと聴いているからです。もし添翼さんの歌が聴けなくなったら、他の歌を聴くようになるのではなく、また「音楽をあまり聴かない人」に戻るのだろうと思います。
代替するものがない。
そこに気づくと、心が震えます。
代わりのない、唯一のものを愛することは、痛みを伴う幸福です。
でも何かを大切にするとは、そういうことですよね。家族への愛も、恋愛も、みんなそうですね。
とくに失恋した人を前にすると、「またいい人に会えるよ!」とか、つい言ってしまうけれど…そういうことじゃないよね。彼女はこの世にたった一人で、代替するものはない、と思いますよね。
だよね…🥲
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙