1945年の原爆投下 なぜ長崎は米軍に狙われたのか | 毎日新聞
「A:原爆は長崎市松山町の上空約500メートルで爆発し、巨大な火の玉が生まれました。街は火の玉から放たれた熱線で、鉄が溶ける温度(約1500度)の倍以上に当たる3000~4000度の高熱となり、秒速数百メートルの爆風に襲われました。民家は跡形もなく破壊され、コンクリートで造られた頑丈な建物も崩壊しました。原爆は大量の放射線も放出しました。熱線や爆風の被害を免れて生き残った人も、白血病やがんなど放射線による「原爆症」で次々と命を落としました。人的被害は広島に続いて未曽有の規模となり、長崎市の当時の推定人口約24万人に対し、45年末までに約7万4000人が亡くなりました。」
黙祷。