昨日、Twitterで見かけた投稿。お母さんが自分の子どもと遊びが退屈でおもしろくない、って言っていた。ごっこ遊びとかね。いろいろな人が「私も、私も」って反応していて、ものすごい違和感を感じた。

ずっと考えていたんだけれど、ああ、この人たちはもしかしたら、どんな場面でも、自分が主人公になりたい人たちなのかも?と思った。

そりゃあ、自分が主人公だったら、大人は、例えば、機関車トーマスでは遊ばないし。

で、コメントの中では、アカデミックな人たちが「いや、私は子どもの言語とか毎日おもしろく聞いている」とかがあって、そういう人たちは子どもとの遊びが楽しいって言っている。

つまり、客観的に状況を判断している人たちよね。

学者だけでなく、これは誰にでもできると思う。

自分の人生だけど、周り含めて、自分をその中心に置くことだけを無意識のうちに求めてしまうのはやっぱり無理があると思う。ある時は脇役に徹することも必要なんじゃないかなぁ、と思う。

でも、そういうことを無意識にも求めてしまう人たちは、どういう精神状態なんだろう、といろいろ考えてしまう。いいお母さん、お父さんを一生懸命しているのに、こういったことで自分はなんて狭い人間なんだ、と思っていることも感じられるしね。

日本のお母さんは誰にも助けてもらえないんですよね、基本、孤独。家族からも社会からも具体的な助けをもらえない、それは想像以上に大変心が病みます。「子供との時間が楽しめない」と感じてしまう母の気持ちが痛いほどわかります。このお母さんが言っているのは単に「子供と遊ぶのが退屈」というだけの意味ではないのかもしれません。

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@pandapanda 確かに、「子どもと遊ぶのが退屈」以上のことがあるのかもしれませんね。日本って、いつの間にか、本当に子育てしにくい環境になっていますよね。残念です。

一人ひとりが大切にされる社会にするには政治の力が必要です。与党を変えれば方向転換できるだろうと思っています。

@pandapanda
本当ですね。いまの政権与党って、なんで支持されるのか本当に理解できません。

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