弁が立つ(正確には筆が立ってる)ものだからしばしば「感受性豊かだね」と言われるが感受性そのものは乏しい気がする。ただそこにある景色や現象や、鈍感なりに変化した心模様を文字に起こすことで、あとから感覚がついてくるというのはある。言葉が先で心は後なのだ。
心模様を文字や言葉にできるならそれは感受性じゃろ?と思われるかもしれないが文字にした時点では“感想”に至っていないことが多い。現象に遭遇したとき心が揺れてもその理由をその場で知ることはできない。ゆえに心が揺れている自覚も追いつかない。鈍感というかのろまというか馬鹿なのかもしれない。